Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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『徳川慶喜家の子ども部屋』

徳川さん宅(ち)の常識』を読んで、積読になっていた『徳川慶喜家の子ども部屋』を読む。
面白い。


著者は徳川慶喜の孫で大正10年生まれ。
生まれる前に慶喜は亡くなっていたので顔を見たことはない。
そして元将軍家は幕府が滅亡した後も色々な意味で凄かった…

もうね、付き合う層が全然違う。当然ながら。
姉妹の嫁ぎ先が大名家、皇族というのが普通である。親戚に普通に皇族がいる。笑
というか、著者の姉が高松宮のお妃であったわ…
そうだったの。高松宮喜久子妃殿下でございました。
当時の皇族の縁組とか大名の縁組とか、幅広すぎて覚られない。


姉が高松宮に嫁いだ時、著者は10歳。
高松宮にも大変可愛がられたようで、著者はこの義兄が大好きになり、姉に向って
「半分分けてちょうだい」
かわいい。笑
高松宮というと阿川さんの『高松宮と海軍』の印象が強いです。
そして同じく喜久子妃の印象もここからなんだなあ。

著者、当然ながら通っていた学校は学習院なのだけれど、


日本史の先生はどなたも、学生が華族の子女、つまり大名、公家など歴史に登場する家の子女が多かったから、「学習院は歴史の授業がやりにくい……」とこぼしておられたと聞いている


やっぱり。笑

あと読んでいてそうなんだと思ったのは、昭和5年当時、著者が住んでいた御殿の家令(昔で言うと家老)は三輪修三という元海軍大佐とあったのね。
へーと思って何気なく調べてみたら、海軍兵学校17期でした。
あらま。
秋山真之クラスか。
軽くググってみた程度では何も分からん。
手元資料を確認した所、後から数えた方が早いハンモックナンバーだったということぐらいしか判明しなかった。笑
東京の人のようで、元々幕臣だったのかな?
何かしら縁がある人であったかと推察しますが、退役後にそういう進路もあるのですね…

そして著者の父、徳川慶喜の子息らは修業のために嘉納塾に預けられていたそうです。
あらー。
そうなんだ。

嘉納塾は過去何度か触れていますが、講道館柔道の嘉納治五郎の私塾になります。
そもそも嘉納治五郎は教育者なのですよ。
英語ペラペラ、且つ東大で文学、政治学、理財学、哲学を修めた当時の超エリート。
宮内省や文部省に出仕する傍ら大鳥圭介にスカウトされて学習院の教授兼教頭になった。
27歳の時。
柔道ばっかりやっていたわけではないのである。


そういう関係で嘉納はハイソな知人の子供を預かることがありまして、その預かり先が後の嘉納塾。
一方で嘉納は講道館も運営していますし(英語塾も運営しとります)、嘉納塾では柔道必須であったようなので、講道館の初期に柔道を嗜んだ顔ぶれには当時の上流階級であったりエリートであったりがかなり多いです。

大鳥圭介の息子ふたりもその流れで講道館に通っており、広瀬武夫とは仲良しでした。
これも今まで何度か触れていますが、一緒に遊びに行ったり旅行に行ったり、職場に見学においでとか。広瀬は弟のような感覚で接していたのだと思う。

また広瀬は自分の腹違いの弟を家族が反対するのを説得して上京させていて(学費は広瀬持ち)、その弟を14歳で嘉納塾に入れるのですが、これを後々広瀬はやや後悔していた。
(広瀬は講道館と書いているのですが、書簡を見ていると「在塾」とあり、また『軍神広瀬中佐詳伝』を見ても嘉納塾幼年舎です)

というのも、上記の通り嘉納塾にはハイソが多いのですよ。
広瀬は厳しく育てられた幼少~少年期、海兵生徒時代を経て、講道館を取り巻く世界を知る訳ですが、弟は豊後竹田から上京してすぐにその世界に放り込まれた。

弟は1年位で病気の為に退塾するのですが、広瀬が考えていたのとはちょっと違う感じになってしまったようですね。
広瀬から見ると嘉納塾・講道館に在籍する上流階級の雰囲気の、悪い風の影響を受けたと感じたようです。
広瀬自身が質実剛健を地で行くような人だったので、余計に思うところがあったのではないかと思う。

この広瀬弟は明治11年生まれ。
『徳川慶喜家の子ども部屋』著者の父・徳川慶久(慶喜七男)は明治17年生まれ。
7歳違うと、嘉納塾の寄宿生活でも顔を合わせたかどうかという感じか。
ただ慶喜五男、六男は明治10年11年の生まれで、同時期に在籍した可能性はあるのでは?と推測。
調べたら分かりそうですが、そこまではいいや。
広瀬弟が在籍していた時期が思春期だからなあ…
余計に影響を受けやすい時期だったのではなかろうか。


で、よくよく見たらこの著者の祖母が慶喜側室の新村信でした。
そうなんだ!
新村信の義弟が新村出(しんむら・いずる)といって、広辞苑の編纂者です。
新村の実父が木戸孝允と交流があり(神道無念流の同門でした)、その縁で京都にあった木戸邸の一部を新村が自宅に移築しています。
これは現存していまして、何年か前に見学に行った際のレポートがありますので、興味のある方はどうぞ^^

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