Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

読書つれづれ*『私の江戸-東京学』

引き続いて読書感想。笑

30年ほど前の本。
流し読みで読んだ程度だけれど、結構面白かったです。
そうなんだと思ったことがちらほら…

幡随院長兵衛と水野十郎左衛門が実は仲が良かったという話に、えっそうなの?
(幡随院長兵衛…分かる?分かります?^^;)

長兵衛は江戸城へ人足を紹介する口入業を営んでおり、旗本・水野との関係はそこから。
吉原に遊びに行こうと長兵衛が水野邸に誘いに行った際、酔っていた両者間で口論が起こり、逆上した水野が長兵衛を切り殺したという、それだけの事件だったそう。
そうなんだ。
幡随院長兵衛て町奴…侠客かと思っていた。


(※土原註:長兵衛は)本当は人足を紹介してピンハネする口入れ業者で、他の業者との競争上、働く者にはよそより高く払って、より多くの働き手を抱えた方が有利だった。


ほうほう…


ところが、高く払うとその日ぐらしの人足は、食費があるあいだは働かない。
それで、高く払うが、そのカネはその日のうちに使わせる。
そのために、江戸っ子は宵越しのゼニは持たないとか、男なら酒を飲めとかおだてたり、売春婦を買うことをすすめた。
そのカネを使わせる方法の一つとして自宅でサイコロ賭博を開帳した。


宵越しの銭は持たないってそういう事だったのか。
持たないっていうより持たせない、だったのねー

賃金をその日のうちに使わせてしまい、翌日もまた働くように仕向けるのが人足を使うコツだったらしい(働いて得た金を片っ端から使わせるために飲む打つ買うを奨励)。
妙に納得。


後は東京の食べ物の話が面白かったです。
『ドグラ・マグラ』の著者夢野久作がね、関東大震災後に東京の状態を見に行くのですよ。
その時のルポタージュがあるのですが、そこで震災で崩れたのは家屋などの建造物だけでなく、人の心も崩れたんだという、非常に印象に残る一文を書いているのですが、この本を見ていると味や料理屋もそうであったみたい。

それに甘味を好む地方人が流入する東京では、地方人が増えるほどに甘味の強い食物が売れるのでそちらに味付けが寄っていったとあって、言われてみりゃそうだけど、成程なーと思いました。

著者は先祖代々からの江戸っ子ですが、「法善寺横丁の正弁丹吾の天丼は砂糖漬けと言っていい程甘い」とあって、思わず笑う。
そんなに?^^;
30年前と今の味付けを比較すると大分変わっていそうですが、関西の味付け、大分甘かったんやな…
正弁丹吾というお店は私は知りませんでしたが、調べてみると現存していました。
明治26年創業だそうです。
食べログ見たけど、価格帯が高かった(笑)

読書徒然

ダイバーシティの続きはサイトの方に載せようと思ったのですが、余りにブログに穴が開いてしまいそうなのでこちらで書こうと思い、書きかけてやっぱりサイトの方にしようと思い直した優柔不断。
築地なの豊洲なのどっちなの(なんでや)

さらっと書いて終わらせようと思っていたのですが、あら、と思うことが出てきたのですよ。
いつものパターンですねそうですね。
今ちょっと県内の遠方から本を取り寄せているので、また手が止まってしまう…^^;

ということで、最近読んでいた本の話で誤魔化す。笑
徳川さん宅(ち)の常識』という本が結構面白かったです。
尾張徳川家の第20代当主の方のエッセー集。

中でもうおっと思ったのは「家業」という章で、著者の幼馴染の話が書かれている。
著者は昭和8年の生まれで、戦前の華族ですので通う学校は当然ながら学習院である。
当時の学習院には学校には元大名であったり元お公家さんであったり、あれやこれやと教科書に名前が載るような苗字の方ばっかりがいる訳ですよ。


旧華族の生徒が多かったので、歴史の授業は難しかったようです。
なにしろ島津さん、毛利さんの隣に、徳川さんや松平さんが座ってますから。
母の話では、鎖国をした徳川の政治が悪かった、という話が授業であったときに、母の妹が教室の隅でシクシクと泣きだしたそうです。
日本史の先生も大変だったと思います。徳川宗家当主の話) 


こういう状態ですよ。笑
宗家当主の方は昭和15(1940)年生まれですが、昭和8(1933)年生まれであっても状況はそんなに変わらなかったと思う。
その中に幼馴染Aがいた。

このAさんのご家庭が特別な家業であると聞かされたのが著者が幼稚園の時で、特別と言っても従兄弟なんかの親戚と大した違いはないと思っていたそうです。
いやいやいや…
徳川さんのいとこや親戚ってどんなんよという感じですが、大東亜戦争が始まった頃にはこのAさん宅の事情とその跡継ぎであるAさんが別格であることが段々と分かってきた。

敗戦で華族は元華族になったけれど、そのAさんの家業だけは形を変えて戦後も存続。
それに対して著者は良かったと思った反面、御苦労なことだなと同情を覚え、自分たちは自由になったのにすまないな、というちょっとした負い目を感じた、とあります。
うーん、何と言いますか。
「住む世界が違う」と言いますが、本当にその世界の話でした…

このAさんがどなたかが気になる方は本で確認してくだされ(丸投げー)
大体の想像はつくかとは思いますが。
読んでいて私も段々「あれ?もしかして」でした…^^;

思想の殺戮

大正を読み直す

『「大正」を読み直す 〔幸徳・大杉・河上・津田、そして和辻・大川〕』

内容は昭和を考えるには大正からですよねということです(簡略化しすぎや…
昭和陸軍の、統帥権を利用した暴走の萌芽は大正のあちこちに転がってるのよという勉強をしていた身からすると、知ってますとしか言いようが…

昭和の全体主義の萌芽は大正時代にある、という話。
個人が持つ思想が明治末に国家により圧殺されるところから始まり、最後には個人が全体主義・国家主義を唱え出すようになる流れが描かれていました。
この本を読んでいてちょっと…というか、かなりびっくりしたことが。

「個人が持つ思想」とはこの本の場合は社会主義で、「国家による圧殺」とは大逆事件の事。


大逆事件(角川新版日本史辞典/1996)

著名なものとしては、1910(明治43)年幸徳秋水<略>らの当時の無政府主義者・社会主義者が明治天皇暗殺を計画したとされる大逆事件<略>がある。
’10、5月から全国的に多数の社会主義者が逮捕され、26人が起訴された。

非公開の公判を経て’11年1月18日大審院特別法廷において24名に死刑、2名に有期懲役の判決があったが、十分な確証のない者もあり、翌日天皇の特赦により死刑の半数は無期懲役に減刑された。

しかし、残り12名に対しては早々の24日11名、翌日管野の死刑が執行され、社会に衝撃をあたえた。


大逆罪は皇室に対する罪のことで、戦前では一番の重犯罪になります。
天皇・三后(太皇太后・皇太后・皇后)・皇太子・皇太孫に危害を加えた、または加えようとした、ということで皇室へ危害を加える=国家への反逆と見做された。

幸徳事件(所謂大逆事件)は、時の政府によるでっち上げだと言われます。
最近の研究ではこれが一致した見方で、事実そうだったと思われる(辞書の内容は古い)。

しかしそんな事件が全くなかったかと言われるとそうでもない。
起訴された26人全員が冤罪とは言い切れず、実際に明治天皇を暗殺しようと考えた人間は4人いた。
爆発物の製造実験をし、更にその材料も押収されているし、この人々は逮捕されている。


ただ幸徳秋水がこの計画に関わっていたかと言われたら、それはNO.
では計画を全く知らなかったかと言われたら、それもNO.
上記4人に相談はされたけれど、幸徳は反対した。
反対したから、計画からは除外されている(だけれども首謀者扱いで捕まった)。

4人の逮捕後、幸徳を含む22人が逮捕されますが、この人たち、天皇暗計画とは本当に無関係なんである。
逮捕の理由が上記4人の誰かとかつて親しかったとか、影響を与えたとか。
あいつならやっているはずだ、とか。

何の証拠もないまま社会主義思想の持ち主という理由で捕まっている。
まあ、政府は社会主義者を一掃するために、大逆罪という刀を振りかざして捕まえているので…
とにかく理由が分からないまま逮捕され、死刑判決を受けた人が多かったと思われる。

計画に反対してその後は関与しなかったにも関わらず天皇暗殺計画の”首謀者”扱いされた
幸徳については、この事件の担当検事自身が以下のように述べている。(『「社会」のない国、日本』より)


幸徳が此の事件に関係のない筈はないと断定した
証拠は薄弱ではありましたが幸徳も同時に起訴するやうになつた


疑わしいという理由だけで逮捕され、非公開裁判にかけられた挙句死刑判決を受けて処刑される。
上記の通り大逆罪は戦前では最も重い罪で、裁判は非公開、三審ではなく、大審院で1回限りで結審します。
判決は覆らない。


私は知らなかったのですが、この時特赦で無期懲役になったひとり坂本清馬が戦後昭和36年に東京高裁に再審請求を行ったそうです。

38年にこの再審請求に関わる審尋が始まった。
この審尋の公開を弁護団が要請したものの、却下され非公開。
そして頭ごなしに再審請求人の思想を否定的に見る質問を裁判長が再審請求人にした挙句、再審請求は却下された。

理由。 


大正を読み直す 


なにこれ…
ちょっと何言ってんのか分かんない…

また、最高裁の大法廷が昭和42年に大逆事件の再審請求の特別控訴の棄却を全員一致で決定。
戦後の最高裁は戦前の大逆事件を追認した。
裁判所は坂本に対し死刑判決を受けるようなことをしたのだと認定した。

著者は震え上がるような恐ろしさを覚えたと書いているのだけれど、私も怖くて鳥肌がたった。衝撃的でした。


あと、私の中でごちゃごちゃになっていたのだけれど、幸徳秋水って結局社会主義なの?アナーキズムなの?どっちなの?という…
幸徳秋水が紹介される時ってどちらも書かれているように思うのですが、国史大事典を見ると、社会主義→無政府主義らしい。
うーん…政府からしたらどっちであっても、国体の否定であるから容認できるようなものではなかっただろう。


桂太郎 原敬


ちなみに時の政府は第二次桂太郎内閣です。
所謂桂園内閣の時代で、前の政権であった西園寺公望内閣は割と社会主義者に寛容だったんですね。

当時内相(治安の責任部署は内務省)であった原敬は、
きつく叩くと地下に潜って蔓延し、却って取締りしにくくなる、社会主義の蔓延を防ぐにはもっと根本的な社会政策が必要である
という旨を日記に記しています。(明治43年7月23日条)


原敬日記 


しかしながらそれが山縣有朋、桂太郎ラインに叩かれまして、これが一因で西園寺内閣は退陣しております。
ついでに大逆事件の指揮を執ったのは後の首相、平沼騏一郎(当時法務省の検事)。

あと感心したのは吉野作造の民本主義について。
普通にイコールで民主主義、人民主権だと思っていたのですが、違うものだったのね…
ただこの本を読んでいて感じたのは、吉野の言う民本主義と民主主義、本人の中でさえごっちゃになってない?という…^^;
大杉栄から的確な罵倒的批判を受けていて、ちょっと驚いた。
私たちが学校で習う歴史って一体何なんだろうね。

このエントリーだけ題が違いますが、今回読んだ中で一番衝撃的だったのがこの本でした。
「思想の殺戮」という言葉は本書中に2度かな?出てくるのですが、明治末期の大逆事件はまさしく国家による思想の殺戮でしたわ…


***

ということで、読書感想文終わり!
後はもういいです(笑)
まあ、本屋で見かけたら「あ、あれか」と思ってください。笑

『日清・日露戦争をどう見るか』他



結論から言うと、結構いい本だと思います。
ただ題はもう少し違うものにした方が良かったと思う。笑
日清戦争少し前から昭和恐慌までを非常にコンパクトに、流れが分かり易く書いてある。
内容はこの戦争を挟んだ近代の通史です。

「日清戦争・日露戦争は戦争の内容から見て”朝鮮戦争”というべきもの」という主張は、なるほどそうかと思う。
でしょうね、という。
副題にも朝鮮半島とあるのですが、ここまで全面に押し出しているにも関わらず、近代日本にとっての朝鮮半島の重要性やら、当時の政治家や軍人、まあトータルして日本の国家首脳でいいですか、彼らの中で朝鮮半島がどういう位置付けであったかの考察がないという不思議さ。笑
いや、そこは大事な所じゃない…?
省略したらダメな所だろう(笑)

本のカバーに何の為に戦ったのかとあるけれど、何の為に戦ったのかは書かれていない。
内容はこの戦争を挟んだ近代の通史です(2回目)
どういうことなの。

日清・日露戦争の辺りを『坂の上の雲』と絡めてした講演が本書の元になっていると前書きにあります。
その為『坂の上の雲』に対する話も随所に出てくる。
ドラマや小説の影響に対する懸念からの、いい意味でのごく常識的な批判と事実の訂正で、ああそうそう、そうなんだよねと。
サイトやブログの運営上、感じたり思う所がかなり重なり合っていて、個人的には共感する所が満載でした…


*************************




※読んだ後に不満がない方だけどうぞ。
  私の読書感想文なので文句は受け付けない(笑


近年売れてるんですよね?
アマゾンを見たら意外と評価が高くて吃驚したのですが、高評価を入れている人は「本当にあれでいいんだ…」という…
いや、なんと言うか…本当にあれでいいの…?
これ読んで歴史観が覆ったとか目から鱗とか言うてる人は、もう少し違う本を読んだ方がいい。
書評依頼を頂いといて何だが、正直言って何故この本が勧められているのか、私としては理解できないし「寧ろ読んだらダメだろ…」本ですわ…


”薩長史観”を見直すというのはいいんです。
一体何を以って薩長史観というのかという抑々論もありますけれども、まあそういう視点の見方もあって然るべきだと思う。
あと所謂”司馬史観”についても、アンチの側からの見方があってしかるべきだと思う(私自身もどうかと思う所はあれこれとあるので)。
ただこの手の本には例えば某作家とか某作家がいますが、薩長(というか長州)憎しで感情的になり過ぎていてお話にならない。
この本もざっと読みましたが、残念ながらやっぱりねえというのが正直な所。


ちょっとびっくりしたのですが、著者が言うには当時の身分が高い人は倫理観が高く、低い人(下級武士層)は倫理観が低いんだそうだ。うわー…
だから薩長土の志士はチンピラだそうだ。
すげえなこの差別感。
ここまで来るといっそ清々しさを感じるわ。
じゃあ薩摩の小松帯刀とか長州の高杉晋作とか、新選組はどうなるんだ…

著者がいう”高い倫理観”を備えていただろう幕臣や会津藩士を持ち上げる割には、会津が戦費獲得の為に北海道の一部をプロイセンに売り渡そうとしていたとかいう事実は勿論スルー(※)。
こういうことは著者が大嫌いであろう薩摩・長州だってしなかったのですが。

斗南に”流された”とあったけれど、猪苗代との二択で斗南を選んだのは会津です。
禁門の変で京都が火の海になった原因には、一橋慶喜・会津・薩摩・新選組の佐幕方が長州の敗残兵掃討の為に大砲を市中にぶっ放り、民家や寺院に放火したり、そういうことがあるんですが。

薩摩長州ばかりが悪くて、幕府や会津には欠点はなかったのですかねえ…
薩長(及びその他雄藩)にしたって、初めは「幕政を改革しよう」だったんですよ。
そういった流れに幕府が対応しきれずに最終的には「討幕」→「倒幕」になった訳ですよ。
抑々、どちらかが正しくてどちらかが悪いとか、歴史はそういうもんじゃないでしょう。

著者は司馬遼太郎の明治維新美化を批判するけれど、著者だって同じ事をしている。
(しかし一般的に薩長土は美化され過ぎというのは確かにそうだと思う。そして現代に至るも朝敵・賊軍め、官賊めと一方的に罵り合うファンが一部にいるの見るとどっちもどっちだなと思う)


そうとは言え、長州系の志士が池田屋で話し合っていたことや天誅は、私は絶対におかしいと思うけど。
長州の文久・元治の頃の行いが常軌を逸しているのは、そうなんですよね。
今迄何度か触れたことがありますが、池田屋で話し合っていたことや禁門の変とか普通にキ○○イの所業でっせ。
池田屋で話していた事なんて、祇園祭の宵山に御所に火をつけて天皇を連れ去ろう、青蓮院宮は幽閉、一橋慶喜と松平容保兄弟は殺してしまえ、ですからねえ。
個人的には思考経路が2・26事件と似ていると思うし、常識的に考えておかしい。

そういう点を批判するのは普通に理解できます。
ついでに書くと吉田松陰のファナティックでエキセントリックな所は私は好きになれないし。
(そして昭和のファナティック=狂気的、松陰のファナティック=純粋という司馬さんのスタンスもよく理解できんのだ…)


でも昭和の中国侵略が吉田松陰のせいだとは、流石に思わない。笑
更に衝撃的だったのは、東日本大震災後の福島の状況が薩長政権のせいにされていたこと(白目
ごめん、何言ってるのか分からない。
もはや突っ込み所も分からない。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎しとはこの事か。


内容全体がおかしいかと言われたらそうではなく、普通に読める所もあります(その”読める所”で阿部正弘がものっそ落とされていて、私としてはかなりあーあな感じではあるが)。
幕末以前、天保・安政期の幕府の奮迅の努力は、幕末の本ではあまり触れられる事がないように思うので、これはいいと思う。

だから余計に主観を排して、もう少し冷静に資料をつめればよかったのにね、と(要するに悪口で溜飲を下げてるとしか)。
ただそこにも難がありまして、引用参考文献に小説とかエッセイがずらずらと…
大学のミニ発表ででさえ「これらが典拠です」として参考文献として書き連ねたら普通に怒られます。
うーん、もう少しまともな本を上げてくれ。

司馬史観の批判が本書の目的のひとつのようですからそれは分かりますが、綱淵謙錠て。おーい。
小説やがな。
佐藤誠三郎とまでは言わないが、佐々木克や坂野潤治の本の1冊でも読んだのだろうか、この著者。
というか本を読む前に参考文献をチェックするのですが、それ見た段階で、あー、という感じですな。(偏りが著しい)

まあ、御題として頂かなかったら金輪際読むことのなかった本です。
そしてこの著者の本は二度と読むことはないだろう。


*****

(※)プロイセンへの蝦夷地割譲案

そう言えばあれから続報って出ているのかと思ってググったら、1か月ほど前に最新情報が出ていました。
(この記事を書いた今月初めはリンク繋がっていたのですが、もう無理みたい…)

「蝦夷地99年間貸与」
  会津・庄内両藩、戊辰戦争でプロイセン(ドイツ)に打診(yahoo 2016/9/21)
「蝦夷地99年間貸与」
  会津・庄内両藩、戊辰戦争で独に打診(北海道新聞 2016/9/18,21)

以前はプロイセンの宰相ビスマルクが却下したという話になっていたのだけれど、その後ゴーサインが出ていた。


(※土原註:駐日普公使からビスマルクに向けた書簡には
「会津・庄内藩の蝦夷地の領地に良港はないが、 ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう
ともつづられており、海軍拠点確保に向けた意図が読み取れる。
(北海道新聞より抜粋。太字はヒジハラ)


正確には、会津藩庄内藩の北海道にある領地の99年貸与を担保に資金提供を持ちかけていた、ということらしい。

北海道、空想の話でも何でもなく、本当に租借地にされかけてた。
おおお…恐ろしいわ…

四ヶ国連合艦隊砲撃事件後、イギリスから彦島を租借地にと言われて断固拒否した”長州藩士”高杉晋作を思い出さざるを得ません。
(高杉はこの2年前に上海の租借地の実態を見ていました。一度貸したらその後どうなるかの見通しがついたと思われます)

会津・庄内が降伏したから無かったことになったものの、戦争が長引いていたら本当にどうなっていたことか。
マジでドイツ領北海道になってたんじゃないの…

『幕末維新を動かした8人の外国人』

昨日書いたコメントの話で、依頼が来たのは7冊。
『料理通異聞』(松井今朝子)、『幕末維新を動かした8人の外国人』(小島英記)
『明治維新という過ち』(原田伊織)、『開国への布石―評伝・老中首座阿部正弘』(土居良三)
『「大正」を読み直す』(子安宣邦)、『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(加藤陽子)
『日清・日露戦争をどう見るか―近代日本と朝鮮半島・中国』 (原朗)
何冊か没った。笑

『料理通異聞』は八百善の話です。まあ面白かった。
『戦争まで』はまあ…いいかな…
読み応えのある本だけれど、個人的には加藤陽子氏があまり好きではない。
そして以前よりの疑問なのだが、何故この人は松岡洋右に甘いのだろう。
好きなんだろうなとは、思うけど。

***


幕末維新を動かした8人の外国人


著者は小島直記かと思っていたのだけれど、小島記やったっちゅう。
題の通り幕末維新を8人の外国人を中心にして見たもので、今迄ありそうで中々無かった類の本かと思います。

出てくるのはペリー(米)、プチャーチン(露)、ハリス(米)、オールコック(英)、ロッシュ(仏)、パークス(英)、サトウ(英)、グラバー(英)。
細かい所はいいのだけれど、読んでいて関心したのはどの国も出先の人間の軽挙妄動を戒めていた点。
幕府と薩長どちらに肩入れするでもなく、双方と一定の距離を置いて影響力を行使しないよう戒められているし(内政不干渉)、結構慎重。

四ヶ国連合艦隊による下関攻撃も同様。
イギリス本国は日本との戦争になる事を懸念して、駐日公使オールコックが下関を攻撃する旨を連絡してきた返信として、武力行使をするなと否認していた(ただ当時は訓示を送るにしても船便なので、オールコックの手元に到着したのは攻撃後)。


下関、関門海峡 関門海峡


どこの国も望むのは安定して通商出来る相手(国体)であって、彼らからすれば幕府でも諸大名でもどちらでも良かったのだと思う。


外交官としての立場を見失い、幕府に肩入れしたのが仏国駐日公使のロッシュ。
公使館のスタッフも殆どおらず(専属通訳すらいなかったらしい)、情勢分析に感情を交え過ぎで、日本におけるフランス外交が破綻していく様がよく描かれていました。
そして土壇場で徳川慶喜に裏切られるというなんという皮肉。
慶喜の掌返しはもはや全方位ですなあ…


フランスと対称的であったのがオールコックの後任パークスとサトウ。
イギリスはスタッフに恵まれていて、その代表が日本語ペラペラのアーネスト・サトウ。
薩長土の有力者と直接日本語で言葉(情報)を交わす事ができるというのは、パークスにとっても何事にも代えがたかったと思う。
イギリスは情報収集能力とその分析が的確で、ここが日本におけるフランスとの大きな違いで、読んでいて面白かったです。


維新前夜の英仏はどちらかというと本国の意を受けてのどちらかへの肩入れという印象が強かったのですが、出先のスタンドプレーの割合が結構高かったのだなと。
特にロッシュとサトウ。
サトウは公使館の通訳官という職分からしてもかなり立場を逸脱している。
西郷隆盛に向かって「薩摩立つべき」とか、恐ろしいわ…
日本人からすればサトウはイギリスの意だと思われる所もあっただろうし。
あんたの本国内政不干渉の方針やで。

あと感心したのは、外国人にいいように振り回されているようで、日本人も結構利用していたんだなと。お互い様。

こう見ると幕末の攘夷は外国の植民地化を恐れてという話だったけれど、何となく不思議な感じはしますねえ。
幾ら内政不干渉だと言われてもな…

隣国清国のアヘン戦争以降の状況を日本人は見ている訳ですし。
やってきた外国人(の本国)がどう考えていたとしても、武力を背景にして傲岸に日本人を怒鳴りつけて萎縮させたり、砲艦外交したりすれば、そんなの日本人からすりゃ外国の侵略に他ならなかっただろうなと思う。
Copyright © 土原ゆうき(ヒジハラ)