Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

佐々成政墓所(法園寺)

先日尼崎に行ってきたのですが、寺町をフラフラしていてとある石碑を見付けた。


佐々成政墓所(法園寺) 


右下。


佐々成政墓所(法園寺)


え?
佐々成政の墳墓?そうなの?


佐々成政墓所(法園寺) 


豊臣秀吉に許された後、領地の肥後で起きた国人一揆の責任を問われて切腹。
切腹したのが法園寺だそうで。
尼崎やったんや…


佐々成政墓所(法園寺)


寺町で作成しているらしきHPを見た処、こちらの墓碑は複製で、本物は本堂内にあるそうです。


佐々成政墓所(法園寺)


ちょっと驚いたわー


佐々成政墓所(法園寺)


この辺りは秀吉と縁があるようで、中国大返しの際に立ち寄った寺院だとかもある。
「秀吉由緒寺」と記された石板がでーんと塀に張り付いていた所もあった。
朱印状なども残っているそうです。

西宮や尼崎は大阪(・京都)に向う手前にある交通の要衝なのですね。
それだけに結構色々とあるのですが(マイナーな感じで…)、こういうのもあるのかとちょっと驚いた。

ちなみに佐々成政の子孫が佐々友房、さらにその子孫が佐々淳行さん。
戦国武将が先祖ってすごいなと思うのだけど、以前の職場に教科書に太字で載る室町時代の超有名武将の子孫がいて、話聞いたら何だか色々大変そうだった…^^;

苗字見て
「もしかして●●●●の子孫ですか。あはは」(※冗談で言っただけだった)
「何でわかったん」
「え」(真顔)
「え」
苗字を聞いたら私はその人物しか浮かばなかったのだけれど、子孫かと聞かれたのは初めてだと言われて却って驚くという(位のメジャーな人物…

維新後は男爵を賜り、兵庫の山奥に大分土地を持っていたそうですが、GHQに取り上げられたと言っていて、「今や俺、しがないサラリーマン」とか言って笑っていた。笑
(脱線

五代友厚像・大坂西町奉行所跡

五代友厚、大阪市内に銅像が3体ありまして、ひとつは北浜の大阪取引所(旧大阪証券取引所。大証ですね)。
2つ目は光世証券、3つ目は大阪商工会議所前。
歩いて行ける距離に同一人物の銅像が3体というのは中々珍しいと思う。


五代友厚


こちらは大阪取引所前。すぐ近くに適塾があります。
ちなみにここからほど近い所にある日銀大阪支店に五代は屋敷を構えていました。


大阪商工会議所_五代友厚


こちらは商工会議所前。
手前が五代、中心が五代の娘婿でもある土居通夫。こちらも大阪の財界人・実業家。
通天閣の「通」は土居から取られています。
そして井上(馨のゲテモノ)料理の犠牲者?でもある。笑える(酷い
私の中では専らこっち。
 
光世証券の方は写真があると思っていたのだけど、なかったわ。
手が繋げる銅像。笑

五代は大阪取引所の前身である大阪株式取引所の創設発起人であり、大阪商工会議所の方では初代会頭であるのですね。銅像はそれで。


鹿児島_五代友厚像


こちらは鹿児島に行った時の写真。
鹿児島中央駅前にもあります。あちらは沢山の中のひとりだけど。


鹿児島_五代友厚誕生地


鹿児島の城山の近辺にあった五代友厚誕生地碑。

五代は明治18(1885)年東京築地で亡くなっていますが、お墓は大阪にある。
天王寺にある市設南霊園。


阿倍野


あべのハルカス25階からの風景。
画面中央に同じデザインのビル3棟が見えていますが、そのもうちょっと奥に霊園があります。

広瀬武夫の嫂春江の父・安井譲のお墓もこちらにあるのです。
安井の妻の兄の子供が加藤高明でして、春江女史とは従兄妹の間柄。
加藤を見出して上京させ、勉強の機会を与えたのも、「高明」への改名を勧めたのも安井夫妻で、加藤からすれば正しく恩人。
来阪した際、加藤は必ず安井の墓参に来たそうです。

そう言うこともあって、一度行ってみたいのだけれど中々機会がありませんな。
五代はともかく安井は探せない気がする。

***


大坂西町奉行所


大阪商工会議所の北側に石碑がいくつか認められました。
近付いてみる。
左側のふたつは戦後関係であったのでスルーします。
なので奥に見えている石碑ですね。


大坂西町奉行所


西町奉行所跡やった…

ここやったんか。
東町奉行所は大坂城のすぐ近くにあるのでぼちぼち見る機会もあるのですが、西町奉行所は初めて。


大阪城、東町奉行所跡


元々東西隣り合っていたものが、火事で西町の方が移転しています。
それが享保9年だそうで、と言うことはここで矢部定謙が執務していたのですね!
わーい!


大坂西町奉行所


解説を読めば初代大阪府庁もここに置かれていたそうです。
奉行所の建物がそのまま使われていたとのこと。
何でなくなったのかな。空襲か。

品川神社(2) 板垣退助墓所

品川神社


品川神社続き。
何気なく見ていたら社号標を記したのが清浦奎吾だった。
さりげなくビッグネームがあちらこちらに散っていますねえ。

前回の写真の方が分かりやすいですが、鳥居が面白かったです。
こういうのは見たことないなあ…登り竜と降り龍。

そして境内の奥にある本殿…


品川神社 


の更に奥にあったのが板垣退助の墓所(神社の裏)。
分かり辛い。
紙がぺーんと張ってあるだけで特に看板等もなく…


品川神社 


こ、これは見逃すわ~^^;


品川神社_板垣退助 


奥へ進むことしばし。とある区画に幾つかの墓石が並んでいました。
上に見えている写真の奥が板垣の墓所。


品川神社_板垣退助 


右側の方ですね。
奥に見えているのは板垣の妻のお墓。


品川神社_板垣退助


ちょっと調べてみたのですが、板垣はこちらにあった東海寺の塔頭高源院に葬られたそうです。
高源院は移転したものの、板垣家の墓所はこちらに残ったそうで。


品川神社_板垣退助


「板垣死すとも自由は死せず」の石碑も。筆跡は佐藤栄作。


板垣退助


板垣死すとも…は遭難した時に側にいた人がそういう意味の言葉を叫んだらしいのですが、ただ正確な所は分からないらしい。
当時の様子を見ていた密偵の報告に似たような言葉もあるようだし。
ただ板垣本人は岐阜事件での遭難については、あっという間の出来事で言葉が出なかったと言い残している。

岐阜事件が起きたのは明治15(1882)年。
板垣は長生きでして、亡くなったのは大正8(1919)年になります。
その間に「隈板内閣」で知られる政党内閣も大隈重信と共に立ち上げています(明治31(1898)年)。
なんだ、ここで死ななかったのかと初めて知った時私は思ったよ…
(思わず「死んでればドラマだったのに」と言い放ち爆笑された)

国文学者伊藤正雄が明治40年代に相撲を見に行った時、板垣退助を見たそうで、その時の印象が「この人まだ生きとったんか」
という感じ。笑
隈板内閣倒壊後、板垣は政界を引退していたので余計だったでしょう。
当時「自由死すとも板垣死せず」とか言われていたそうで、悪いと思いつつこれを見た時は爆笑した。

板垣、個人としては非常に美点・美徳の多い立派な人物(戦前の政治家はそういう人物が多い)。
でも政治家向きじゃねえなあ…

品川神社(1)

先週末は東京でした。
宿泊が品川で、早朝に少し時間が取れそうだったので周辺に史跡がないか探した(ヒジハラですから。笑)
…ら、板垣退助のお墓があった。
何となく青山霊園とか多磨霊園とか、あの辺りかと思っていたので意外でした。

ということで取り敢えず品川神社まで。


品川神社


京浜急行新馬場駅の目の前。
電車の中から結構大きい神社だなあとぼんやり見ていたのですが、よく見りゃ


品川神社


<●><●> 富士塚じゃね? (覚醒)(笑


正直板垣退助の墓所よりこちらに興奮した。(どうなの…

階段を登ればちゃんと富士塚の説明がありました。
一度見てみたかったので、これは嬉しかったぞ!

富士塚とは江戸時代の人工富士山のことで、富士の山開きの時に富士講で富士登山するのですが(なんのこっちゃ)、それに行けない人々が富士塚に登った。(※品川富士は明治2年に作られています)
富士信仰は関西でも昔からあるらしいのですが、富士塚はないのです。
それやこれやでいっぺん見てみたかったのだけれど、思いの外大きくて驚きました。


富士山


帰りの新幹線から見えた富士山。
東京出てから20分くらいで見えるもんなあ。
江戸から富士山は見えていました。
見えなくなったのは高層ビルが立ち並ぶようになったこの数十年だと思う。
とういうか数年前まで山手線から見えとったはず。
まあ、日常生活している上でどう頑張っても欠片すら見えない関西と関東では、富士山に対する感じ方はちょっと違うと思うんだ…
(※三重・滋賀・奈良・和歌山の県境辺りの山頂が可視の最西らしい)


品川神社


鳥居の近くに大きな石碑があったので近づいてみる。
荏原郡長を務めた林交周という人物の顕彰碑でした。


品川神社


篆額が小松宮彰仁親王、撰書が伊藤博文。
リリー自分で書いたんか。所縁の深い人物だったのかな。

階段を上ると包丁塚等あれこれ石碑が並んでいたのですが、ゆっくり見る時間はなかったのでスルー。
富士登山(笑)する時間もちょっとなかった…
踵のあるヒールだったのでしんどかったのもある。笑


品川神社



本殿の前に忠魂碑があったのでまたもや近づいてみたら、


品川神社


「希典書」とある。
あら。


品川神社


明治43年4月に品川町の在郷軍人会が日清日露戦争の戦没者の慰霊の為に作ったもので、乃木希典に揮毫を依頼したそうです。
何度か移転の後に品川神社にやってきたとのこと。

結構色々なものがありますな。

続きます。


氷室神社の砲弾

氷室神社



奈良行きの続き。
奈良国立博物館の前に志津香という有名な釜飯屋さんがあるのです(美味しい)。
その釜飯屋のすぐ側に氷室神社があります。


氷室神社


氷室だけに氷の神様を御祭している神社で、平城京に氷を献上していたという由緒ある神社。
近年ではひむろしらゆき祭というかき氷のお祭もしてますね。
300円の初穂料を納めてかき氷をゲットして神様にお供え出来るという不思議な神社でもある…(夏場だけかと)

そんな神社の境内にあるのがこちらの砲弾。


氷室神社


かなり前に書いたことがあるのですが、流石に覚えている人も少なかろう。笑


氷室神社


あら。
定遠か鎮遠かのどちらかと言う話だったのだけれど、鎮遠に確定になっとる。
何か分かったのかな?

…といいますか、年末年始の疲れと帰ってきたちび達が風邪っぴきだったおかげで、奈良に行きついた辺りからちょっと具合が…orz
その日の内に見事に熱が出まして現在に至る。笑
咳が止まらないのが辛いわー


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