Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

サイト更新(不問語*海軍多め)

サイト更新です。 
今回も不問語3件。早く在庫を無くしたい。笑


【 不問語 】
63 きらきら、元のかたち(2)、海軍の人事
62 インパクト、意外感、find out
61 追儺*鬼退治、鈴木貫太郎の昭和

今回の更新はほぼ近代で、ほぼ海軍関係です。

「追儺」(ついな=節分)は2月の節分に引っ掛けて、平安時代の話になります。
関西の源氏の話。

「きらきら」は明治時代のキラキラネームの話。
キラキラっぽいけどキラキラじゃない森鴎外の子供の名前。

「インパクト」は日露戦争で沈んだ大島の艦長広瀬勝比古の話をちょっと。
先日上げた関重忠の日記には、八島と同じく大島の沈没も秘匿された事が書かれていました。
そうだったんだ。
八島だけかと思っていたのだけれど、違っていたのね。

「find out」は2・26事件時の岡田啓介のお話。

「元のかたち(2)」は(1)がないねん。
いや、あるのですが、サイトに移す程の内容でもないのでそのままリンクを張ることにしました。
というか前半部は「元のかたち」の話ではないと言えばない…
あると言っちゃあるような気もせんでもないのですが(どっち
『海軍思い出すまま』を読んでいた時の徒然なので、無理して分ける必要もないかと。
どちらも海軍関係で、前半部は疑問であった海軍さんの夏服の靴の話(マニアック)。
後半部は軍歌「勇敢なる水兵」の元の歌詞の話です。

まあ、軽く書くとそんな感じです。あとは適当に(こら
宜しければ遊びに来て下され。

サイト更新(シーボルト事件*不問語)

今日はサイト更新のご案内でっす。
3件。

1)シーボルト事件について
2)問わず語り
   the fall/正気の沙汰/楠正成、墓碑の拓本(幕末)
3)問わず語り
   昭和天皇実録/明治末、海大講習員集合写真/薩摩Jr.

ホンマはシーボルト事件だけでよかってんけどな、みんなあんまり興味ないだろうと思って(シーボルトに謝れ)、貯めまくっているブログ3連パックを一緒にパッケージしました。
こちらは近代と幕末。


シーボルト事件の方は丁度1年前のもので、もうそんなに経つのかと自分でも少し驚く^^;
前も書きましたが、来週から民博で始まる展覧会を大変楽しみにしており申した…!
やっと来たー!
そして今回は題が思い浮かばなかったのだ。
”事件について”って、そんな大袈裟なものではない。
シーボルト事件、なんか思てたんと違うっていう話。

不問語は初出の日を見て我ながら驚いたのですが、2014年でしたわ。
う、うん…なんというか…
幾らなんでも放置しすぎよゆうちゃん…

自分では「薩摩Jr.」がお気に入りです。
ビッグネームのジュニアたちは大変でござる。
軽い話ばかりですので、お気楽にどうぞ。

お時間がありましたらどうぞお立ち寄りくださいませ。

サイト更新(ダイバーシティ・山本信次郎/完)

サイト更新の御案内です。

近代 【ダイバーシティ(4)-2】<完>
 【4】東宮御学問所御用掛
  2)皇太子の御外遊 
   1.大正十年、皇太子の外遊
   2.供奉員として
   3.外遊中のエピソード

今回ちょっと長めですが、山本信次郎の話はこれにて終了になります。
自分ではもう少しぱぱっと終わる予定だったのだけれど、思いの外長引きました。
いつもの事ですかそうですか。
お時間がありましたら遊びに来て頂ければ幸甚です。

(※思いの外長くなったので、2ページに分割の上、各章に題名をつけました)

***


今回は山本が東宮御学問所御用掛であった時の大イベント、大正10年の皇太子のヨーロッパ旅行の話になります。
なぜ皇太子(後の昭和天皇)がこの時期に海外旅行に行ったのかという話は、以前サイトに掲載した「『竹下勇日記』を読む」でも触れています。
こちらも併せてご覧頂ければ分かり易いと思いますので、よろしければどうぞ(今回の更新ページにリンクを貼っております)。

いやー…
私この辺りの話大好きでね…良いよね…
最初は純然たる竹下勇目的だったんですけどね。

この時の供奉員の皆さん、本当に本当に大変だったと思う。
それまでの箱入りから一種スパルタでビッシバッシと教育する相手が皇太子
供奉員のひとりは皇太子の勘気に触れて下船命令がでたらどうしようと思っていたらしい。笑

しかし皇太子(20)だって大変だったと思うのよ?
軍艦に放り込まれて初めての海外旅行。
周りには当然おっさんしかいない。
しかも爺ちゃんや父ちゃん位の供奉員に結構な割合で取り囲まれて怒られる。
そら泣くわ。(笑)

ただこの外遊、昭和天皇にとっては非常に思い出深いものであったようです。
還暦をお迎えになった時の記者会見で、60年を振り返って一番楽しく感銘が深かったとおっしゃられている。

今回サイトで『陛下、お尋ね申し上げます』という昭和天皇の記者会見集を引用したのですが、ぽつぽつこの時の旅行の話が出ています。


<昭和45年9月16日>
私のそれまでの生活がカゴの鳥のような生活でしたが、外国に行って自由を味わうことができました。
そのことが最も印象深いことでした。
カゴの鳥のように何も知らない私を外国に連れて行ってくれた随員の世話で、外国でも何一つ困ることなく無事に使命が果たせ、旅行が出来ました。
今もあの時の経験が役立ち、勉強になって、今日の私の行動があると思っています。

<昭和54年8月29日>
その時の旅行は、それまでの私の生活では経験しない初めてのことであったので、相当苦労はしましたが、閑院宮はじめ、珍田その他の随員の親切な指導によって無事に帰れました。


何故か私が我がことのように嬉しい。
供奉員として随伴した人々が聞いたら泣いて喜んだと思う。

しかし「カゴの鳥のような生活」という言葉はかなり印象的です。
弟宮である高松宮も海軍兵学校に入った時の特別待遇がかなり不満であったそうですし。
皇太子だと余計でしょう。

あと同じく今回、『われらの摂政宮』というこの外遊の取材を許された時事新報記者の本を読んでいたのですが、昭和天皇のご学友に副島種忠がいて少し驚きました。
そうだったんだ。
副島種忠は副島種臣の孫になります。

原敬は鎌倉の腰越に別荘を持っていたのですが、その別荘と副島家の別荘が近くで行き来があった。
原の養嗣子貢がイギリスに留学する際、副島さんちの種忠君もイギリスに行くから同じ船に乗れば?と原のとーちゃんが言うのでそういうことになり、そしてふたりを上海まで送ってくれたのが副島種忠のとーちゃんでした。
そうかーそうかー昭和天皇の御学友だったんかー

サイト更新(ダイバーシティ・山本信次郎)4-1

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近代 【ダイバーシティ(4)-1】

こ、今回で終わると思ったや…(終わらんかったんやな)
多分次回で終わる。多分。笑

山本信次郎の伝記を読んでいて、一番驚いた所は今回書いた所でした。
こういう経歴の人が軍人の中にもいたのだなというのが今回の題名になっている。笑
昭和天皇が皇太子時代に外遊した時に、山本が仏語通訳を務めたことは知っていたのだけれど、流石にここまでとは思わんかったわー。
つらつら思うに私、山本の名前を今迄何度か見ている筈なのに、ぜんっぜん引っかかってなかったというのが良く分かった。笑
(興味がなかったらそんなもんである…

しかしこの方、東郷平八郎に随分と可愛がられた人物のひとりなのではなかろうか。
今回伝記からも引用したのだけれど、東郷は山本がクリスチャンであるからといって嫌な顔をしたことが無かったそうです。
東郷は彼の信仰よりも人柄の方を見ていたのだと思いますが。
しかしながら伝記には、信仰の事などまるで知らないのにキリスト教を攻撃する某将軍、といった表現も同時に出てきていたので、非難は結構あったのだと思います。
伝記から見て感じる程順風でもなかったのかなあ…
何とも言えない…


そして思うのだけれど、秋山真之と宗教の話をしたことがあったのだろうか、この方…
ちょっと興味がある所ではありますなあ。

あとちょっと章の編成を変えましたが、内容は変わっておりません。

そんなこんなですが、お時間がありましたらお立ち寄りくださいませ。

サイト更新(ダイバーシティ・山本信次郎)

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近代 【ダイバーシティ 1-5】

以前こちらで連載していた海軍士官山本信次郎の話です。
こちらでは4話まで掲載していたのですが、それに1話足して今回の更新は5話。
そしてすまん。途中や。
恐らく次の話で終わると思うのですが、とりあえず出来た所までアップしますorz

大したこと書いてないのに何だか時間がかかったんだぜ…
そして何だか色々放棄したんだなというのが、なんというかありありと浮かぶ出来具合である。笑(笑って

見ていて、こういう経歴の人も珍しいなと思ったのが書き始めたきっかけ。
今回更新部分にも書いたのですが、この方、海軍に在籍していて窮屈さを感じなかったのだろうか。
窮屈というか…
謂われない差別とかされなかったのだろうか。
あと、瓜生外吉にしても思うのだけれど、「汝殺す勿れ」を自分の中でどう解決するんだろう。

何の話かしらと思われた方はサイトでお確かめください。笑
丸投げー
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