Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

薩南の風(4)

少年読本桐野利秋


モチベーションを上げるために借りたのだけど、貸出しOKで驚いた。
家にある一番古い本と同じ年の出版、明治37年(第3版、初版は32年)の本やでえ…

私この本のコピーを持っているのだけど、本を読む方が本読んでる感があって(当たり前や)テンションあがる。
「少年読本」とは言え桐野に会ったことがある人が桐野を知っている人から話を聞いて書いているという夢のような本である。 ゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚

桐野の西郷との関係について私が感じているイメージは、実はこの本に近い。
両者とも、幕末であれ明治であれ割と距離があるように思うし、桐野からは他の薩摩人が西郷を思う強い熱気のようなものは、そんなには感じないんだよなあ…

どちらも割と冷めた感じでお互いを見ているというか、どちらかと言うと思う以上にビジネスライクだったのではと個人的には感じる所がある。
桐野は薩摩人にしては珍しく、独立、個人、という感じがする。
生まれ育った環境が影響している様に思いますが、山本権兵衛と割と似た空気を感じるのですよ。

そういう理由で以前書いた宝塚のチケット販売の宣伝文には「西郷に忠誠を…」という言葉があったのですが、この甚だしい違和感よ。笑(個人的な…


桐野利秋と別府晋介 


この本を読んでいても思うけれど、何故桐野が文字の読み書きが不自由という話が流布したのかが不思議ですわ…
小説のイメージがイコール人物像になっているのでしょうが。
そもそも文盲の意味が今とは違う(「大坂のお奉行さん」、真ん中辺り)。
当時の士分と比べたら今の日本は文盲ばかりだろうよ。
(そして当時の正当に学問を修めた士分から見たら確かに桐野は無学文盲の域に入っただろうなとも思う)

司馬遼太郎は現代的な意味での文盲に近い印象で桐野を描いていたように思います。
司馬さんが意味の違いを知らないことはなかっただろうと思うのだけれど、あれはちょっぴり悪意があったかなと、今思い返すと思わないでもない。

そして『翔ぶが如く』の最初と最後の桐野(だけではなく薩軍の人々)に対するスタンスの変り様。
『翔ぶが如く』の作品内だけでなく、『竜馬がゆく』など幕末からの薩摩っぽの扱いの変り様。
司馬さんの小説は面白いし好きなので(ただもう読むことはないと思う)、いまだに苦しむわ。
まあ、途中で書くのが嫌になったのだろうということは分かる。笑

作品の傾向からしても、司馬さんはどう見ても合理的な人間が好きだ。
西郷よりは大久保、近藤よりは土方、大村益次郎(合理主義の鬼…)、河井継之助。
”司馬さんの中の乃木希典”は司馬さんの好みからは程遠かったでしょうね。
そういう意味でも明確な最終目的も戦略も戦争指導もなく崩れていった薩軍を描くのが堪えがたかったのではないかと思う。
ご自身の戦争体験も重ねられたと思うし。

ただ乃木の事について書くと、『殉死』は「憎悪で書いた気がする」と司馬遼太郎本人が言っているぐらいだしなあ(※)。
憎悪かよ。
そう思いながらフェアな扱いで描くなんてできないのではとは、思いますな。
(多分西南戦争時の薩軍にも似たような感じを持っていたのではないかという勝手な想像)

※『歴史と小説』収録「維新の人間像」(萩原延壽との対談)中、土方歳三の美意識と乃木希典の美意識について語っている場面で。

落城の譜

1062年、康平5年9月17日は厨川柵(@岩手県盛岡市)が落城した日。
前九年合戦が終結した日で、安倍貞任と藤原経清の御命日。


厨川柵跡@盛岡 


上写真は厨川柵擬定地。
岩手の安倍氏関連で柵(城柵)があったと断定できるのは貞任の弟宗任が守っていた鳥海柵。
あと白鳥柵もか。
まあ、ここだろうという感じで前紹介した金沢柵と似たような感じ。
上に中世にお城が作られてしまったりしているので、遺構探すのも中々大変そう。


厨川柵跡@盛岡


こちらは厨川柵があっただろう場所から北上川を見下ろした写真。
分かり辛いな…下の方に川が流れているのよー…
厨川柵は北上川と雫石川に囲まれた柵だったと言われています。
金沢柵も北側に流れていたのが厨川という、これなんという符合。


安倍貞任には千世童丸という男児がおりましてね。
藤原経清にも当時6・7歳の頃の男児がおります。

貞任は戦死。
経清も捕えられた上斬首、千世童も捕えられた上で斬られている。
経清の息子は助命され、激動の前半生を歩んだ後平泉を築いています。
これが藤原清衡。

貞任には高星丸(たかあきまる)という男児がいたとも言われています。
厨川柵が陥落した際はまだ幼児で、侍女に連れられて奥津軽に逃げ延びた。


十三湖


辿り着いた先が十三湊(とさみなと)。マークが付いている所です。
現在は十三湖(じゅうさんこ)と呼ばれている。
『十三の砂山(とさのすなやま)』という民謡がありますが、この十三は十三湖のこと。

鎌倉から室町時代にかけてここを根城にした大豪族、大きな水軍がおりまして、それを安東氏、安東水軍といいます。
多分マイナー。おおう…


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高星丸はこの安東氏の祖と言われている。

十三湊はこの時代屈指の貿易港で、北海道の他(この時代の北海道はほぼ外国に近いだろう)中国、アラスカ辺りとも交易があった。
室町時代には三津七湊に数えられる、博多と並ぶ湊だったのですね。

内陸からの利益は殆ど無かったようですが、日本海に築いた交易網から巨万とも言える富を得ていました。
その為安東氏は「海の豪族」とも言われていて、「奥州十三湊日之本将軍」と称していた時期もあった。
輝かしい東北史の1ページ!


十三湖


右側の青い所が日本海。左側が十三湖。
十三本の河川が流れ込む所から着いた名前だそうで、淡水と海水が入り混じる汽水湖です。
河川が流れ込むということは、時代が下るにつれ砂が溜まって湖底が浅くなるんですね。
大きな船の出入りが出来なくなる。

幕末、大坂でも同じ問題が起こっていまして、天保年間に安治川の浚渫工事が行われています。
ただ十三湊は近世以前なのでねえ…
そんな技術はなかったか、未熟だったのだろう。
ちなみに大坂で浚渫した砂を盛り上げて作られたのが現在の天保山です。

生命線が海外との交易であるのに、その基盤になる湊がダメになる。
更に大津波にも襲われています。壊滅的。
その上隣接する南部氏との争いにも破れており、安東氏の繁栄は長くは続きませんでした。
夢の如き栄耀栄華よ。


その十三湖に安倍に所縁があるという理由だけで行ったのだけれど尋常じゃなく遠かった(十何年か前…
この時の旅行は青春18切符を使って、京都から青森までひたすら電車の旅でした。
青森での目的は三内丸山遺跡、八甲田山、十三湖。

十三湖で旅行終了、帰るつもりが台風に遭いましてね…
電車が軒並み止まり、土砂崩れかなんかで線路の復旧数週間とか何とか。笑
何という嵐を呼ぶ女。(通常運転)
仕方ないのでそのまま北海道に行ったよ…五稜郭に行ったよ…


十三湖へは五所川原からはバスだったと思うわ~


十三湖


十三湖の周辺に安東氏所縁の史跡が点在しています。
上は唐川城。城跡から十三湖を見下ろしている。


十三湖


こちらは安東氏が勧請したという山王日枝神社。
すごく神秘的な所でした。ここには本当に神様がいるんだと思う。


十三湖 青森の地酒、安東水軍。辛口。


津軽に逃げ延びた高星丸が安東水軍の祖。
そして前九年合戦で破れた安倍貞任の弟たちはほぼ助命され、流罪。
流罪ですよ…
12年にも及ぶ大戦争であったのに、敵方の大将一族が。
貞任の次弟、宗任は最終的には筑前大島(福岡県宗像市)に配流され、本人、もしくはその子が松浦水軍の祖になったと言われています。

伝承であったりはするのですが、安東氏が安倍氏を祖と称していたのは間違いなく、貞任宗任兄弟が南北の大水軍のルーツになっているというのが、何とも面白いなと思うのですね。

ついでに書くと現総理は安倍宗任の末裔。

薩南の風(3)

宝塚の話を知る少し前に、舞台で響の片方が西郷隆盛をするというネットニュースが出ていると教えて頂きまして。(※仕事中です
へーと思ってググったのですよ。(※仕事中

公式見て笑った。http://www.mononofu-stage.com/cast.html
机に突っ伏しました。(※仕事
別府君麗しすぎる…(おーい

というか、人物相関図(上URL)が凄すぎて。笑
明治になって10年も経つのにひとり明治を迎えてない桐野利秋(中村半次郎のまま…)。
抜刀隊の括りに入れられている佐川官兵衛、斎藤一、山川浩に大山巌。
……大山巌!?
ちょwちょっと待ってww
ど う い う こ と な のwww
(ついでに書けば間違われることも多いが鬼官も斎藤も抜刀隊ではない。というか抜刀隊の括りにいる人がことごとく抜刀隊とは関係ござらぬ…)

「え、どうなんこれ、どうすればええん?そうか事故やったんやこれ、見んかったことにすればええんや…」(独り言)

めちゃ笑われる(※仕以下ry
取敢えず別府君ち(跡)で盛大にムカデ2匹に咬まれた話を披露しておきました。仕事中。


別府晋介誕生地@鹿児島
(@鹿児島市吉野町実方)


この時は本当に大変だったんですね。
別府の生誕地碑をぼんやり眺めていたら足首の辺りがもぞもぞしましてね…
靴とジーンズの隙間から10センチ程あるムカデ2匹が足を這い上がっていたのを見た時の恐怖と言ったら筆舌に尽くしがたい。
引っぺがそうとした時にがぶー!といかれました。
めっちゃくちゃ痛かった。
あんなんもう、二度といやや…

忘れもしない鹿児島旅行最終日の日曜朝8時頃で、桐野別府の生誕地辺りは吉野の中心地からは少し外れていて本当に住宅しかないし。
取敢えず町っこ()なので、咬まれた後の対処方法とか知らんのです。
ただ痛さが尋常でなく、しかもみるみる内に足の形が変わる程膨れ上がっていたので、とりあえず市街地に帰った方がいいと。
くそう。長居したかった。

バスに乗っていたら前方に薬局が見えたので急いで降りて、薬局のおじさんに見てもらったら
「よくあるよくある」(笑いながらマイルドな薩摩弁で)
マジか。
鹿児島ではよくあることなのか。
鹿児島怖ええ…

今回探したら当時のブログがあった。2006年。
こういうことがあるから、旅先での飲料のチョイスが水オンリー。
というかそもそも水かお茶か、野菜or100%ジュース位しか私の中には選択肢がないのだけれど、水なら怪我した時に洗い流せる…
…って一体どういう旅行をしているのかこの女。

ムカデに咬まれたのは別に別府君のせいではないのだが(当たり前や)、私の中ではなんとなく別府君のせいになっている。笑
ごめんね別府君。


別府の家から歩いて5分程の所に桐野利秋生誕地があります。


桐野利秋誕生地@鹿児島


小さい公園になっていた。
2006年時の写真なので、今も同じかどうか不明。

西南戦争が始まるまで桐野がいた吉田の方にも石碑やゆかりの地が残っているのですが、そちらにはまだ行っていないのですよ。
次に行く時は必ずと思っている。

ぐだぐだ続く。

薩南の風(2)

こちらの続き。

赤松小三郎暗殺の犯人がなぜ分かっているかと言いますと、桐野利秋本人が日記に書き残しているから。


桐野利秋


桐野の日記はかなり断片的に残っていて、その中の一条にこの暗殺事件が記されている。
よくこんなの残っていたなというレベル。
自分の暗殺場面を事細かく書き残している人も中々いないと思われるので、そういう意味でも珍しかろう。
この桐野の日記ですが、2004年にPHPから『桐野利秋日記』として現代訳版が発行されています。

読んでいるとあんな人やこんな人、本当に多くの有名人が出て驚きます。
赤松小三郎暗殺事件が幕末の微妙な時期に起こったことは以前書きました。
(暗殺事件KO3年9月、大政奉還10月・王政復古の大号令12月)
この間、11月15日に坂本龍馬と中岡慎太郎が遭難していますが、そのことについても日記には記述がある。
新選組の仕業であると思っていた様です。

坂本と中岡は11月18日(中岡が亡くなった翌日)に霊山に葬られていますが、中村は彼らのお墓参りに行き(その帰りは龍馬の甥高松太郎(坂本直)、龍馬の姪の夫と同道している)、その日は最終的に大久保一蔵宅に行って泊まっている。


大久保利通住居跡@京都 (御所のすぐ傍)


この日記を読んで意外だったのはここ。
何となく大久保と桐野はウマが合わなさそうなイメージがあるから、あ、そうなんだ…と言う感じだった。

で、そうして大久保宅に泊まった次の日、やってきたのが新選組の分派、高台寺党の生き残り。
油小路事件で伊東甲子太郎が暗殺されたのが同日の11月18日。
こう見ると大きな事件が密に起こってる時期ですね…

高台寺党の生き残りが頼ったのが薩摩藩で、彼等はとりあえず石薬師の大久保宅を叩き、その時に応対に出たのが中村という。
ついでに彼等を薩摩伏見藩邸にまで送って行ったのも中村という。
結構色んな所で大きな事件に関わってますな。


小説や一般書から得るイメージと、調べた上で得るイメージと、この人ほどギャップのある人も珍しいなと個人的には思っている。
西南戦争は桐野が起こした戦争だとか、桐野の戦争だった、なんてもよく言われますが、うん。
桐野に責任がないとは、幾ら桐野が好きな私でも流石に思わんけど、薩軍には他にも幹部はいるだろうが。
篠原国幹だってそうだし、村田新八だってそうでしょう。

あれだけの”人物”が揃っていて、しかも推戴しているのは西郷隆盛で。
それでも戦争になったのに、戦争責任の全てが何故桐野にあるというのか。
それに挑発をした政府側にだって戦争惹起の要因はある筈だし。
西郷隆盛を守るために非難が桐野に向かう(向かっていた)傾向はかなりあると思う。

…というか、私はこういうことを書きたかったのではなく!


桐野利秋 


阪急電車の駅構内に(先々週位まで)貼られていたこのポスターですよ。
いや、貼られていたのは上写真ではなかったのですが、黒色肋骨式…
雰囲気から見てどー見ても維新期ですよねこれっちゅう。
宝塚に興味ないのでそのまま放置してたのですが、駅にある無料情報誌(紅茶特集)を見てたら案内が載ってたわ。
主役がまさかの桐野やったわ…
お、おう…

なんというか、うん、こういう服は胸板がないと合わないんだなと…(そこか
というか桐野には鹿児島に奥さんがおるんだが…
どう見ても左のお方は奥様ではありませんね…

ぐだぐだ話つづく。

薩南の風

旅行の話はちょっとお休み。

2018年の大河ドラマが西郷隆盛だそうで、主演が堤真一だそうで。
か、軽く衝撃を受けておりもす(((( ;゚д゚))))

また幕末維新かよー
日本史にはドラマになりうる時代は戦国とここしかないんかよー
奈良とか平安とか江戸時代とかもっとやれよー

個人的には平賀源内は面白いと思うんだが…
あと奈良時代なら藤田瞳子の『孤鷹の天』とかめっちゃ面白い。
これ、いつかNHKが映像化するのではと内心では踏んでいる。

明治維新の1868年から丁度150年なんですね、再来年。
鹿児島の維新関連施設の公式HPなんか見ても、色々イベントがあるようですし。
そんな感じでの西郷隆盛だったのかなと。
…。
……。
…………。
大久保利通でもよかったんとちゃう…?
しかし堤真一太るんかな…(そこか
西田敏行も里見浩太郎も大変だったみたいだけど…

一体どの辺りから始めるのか。
ちゃんと西南戦争は描かれるんだろうか。
日本史的イベント充実人生過ぎるけど、幕末に力入れて明治おざなり、だよね。大体…
西郷が下野したら、精々佐賀の乱位までで、後は一気に西南戦争ぐらいしか話題はない…気が…
西南戦争っても大体その下の人たちが…っていう気が…
まあ…うん…(言葉少な
監修は誰がするんだろう。原口泉さんかな。

というか、私が一番気になるのは桐野利秋です。桐野利秋です。
大事なことなので何回でも言いますよ!(笑
桐野利秋ですよ。
何が気になるかって、誰がするかと言うよりも描かれ方…
人斬り半次郎になりませんように…


史料的に桐野利秋、幕末時は中村半次郎ですが、真実人を斬ったと判明しているのは赤松小三郎暗殺の1件のみ。
しかもこれ、文久2・3年に流行した天誅とは違っていて、当時の状況からどう見ても藩の意思。

赤松は京都の薩摩藩邸でイギリス式兵学を教えていた。
生徒には中村半次郎もおり、篠原冬一郎もおり。
野津道貫、樺山資紀、東郷平八郎、上村彦之丞なんかもおり。
そう言えば会津藩士にも教えとったわー
下っ端中村半次郎の一存で殺せるような人間ではない。

赤松は議会政治の導入を日本で一番初めに唱えた人物でもあり…
坂本龍馬の「船中八策」は赤松の思想が元ではないかとも言われているのね。


贈従五位赤松小三郎先生記念
贈従五位赤松小三郎先生記念碑(遭難地)@京都


暗殺事件は慶応3年9月。
大政奉還(10月)・王政復古の大号令(12月)の直前という超微妙な時期に起こっていまして、まあアレだ。
政治絡みの思想の対立と、知られ過ぎた薩摩の内情を漏らさないように口を封じられたと見てまず間違いないでしょう。

つ、続けて宜しいか…(旅日記どうした
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