Para Bellum

Si vis pacem, para bellum

「芳年」展@京都

食あたりの記事のままですが生きております。
ちょっとあれこれ落ち着いてきた。


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今日は朝一で京都へ行ってきました。


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京都駅と繋がっている伊勢丹の中に美術館がありまして、そこで月岡芳年展が開催されていることを昨日知ったのであった…(会期明日まで)
130点程が展示されていたようなのですが、これだけの数を一度に見るのが初めてだったのでこれは嬉しかった。
わーい、全部芳年だー…

あ、これ芳年だったんだと思うものが結構ありました。


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これとか。
前列右から東伏見宮、三好重臣、西郷隆盛、山縣有朋。
後列右から福原和勝、鳥尾小弥太、川路利良。


「英名二十八衆句」という「無惨絵」といわれる流血ものがあるのですが、それも数が出ていて驚きだった。
美術品と言っても展示しづらい物が多いと思うんですわ。
人の顔面の皮を剥いでいる真っ最中の血みどろになっている姿とか、切腹して腸が出ているとか。
私、芳年の入り口になったのがこのシリーズと安達ケ原の鬼婆なんですよ。
これはちょっと子供には見せられん…
(流石に注意書きがあり、コーナーには仕切りがされておりました)

特に後者は余りにリアルで宜しくないとして、明治政府から発禁処分を受けている。
そこで「明治で浮世絵かあ」と思ったのが始まり。
いや、西南、日清、日露戦争物も浮世絵には沢山あるのですけどね…
広瀬武夫さんのもあるのですけどね…
何となく江戸時代で終わってしまう印象が強かったのだよ明智くん。

気になる方は「奥州安達がはらひとつ家の図」でググれば出てきますのでどうぞ。
これはそこまでエキセントリックではないと思うのですが、苦手な方もいると思うので自己責任でお願いします。

あと面白いなと思ったのは、芳年の鉛筆画の素描が出ていたこと!
すごいなあ、よく残ってたなあ…
大変見応えのある展覧会でした。行って良かった。


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京都駅~伊勢丹の大階段


そして京都まで行って京都駅から一歩も出ずに、帰途の大阪をぶらぶらしてきたのですよ。
あらま。
京都、人多くてしんどい。


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今年は桜を長く楽しめました。
天気があまり良くなかったのが残念だったな~

ブログ不在は6連勤が続いていて流石にしんどいというのもあったのですが、新年度会という名のご飯会があったり、あと部屋の片付けをしていたり。

新年度会はフレンチだったのですが、大変おいしかったです。
某世界的時計ブランド創業者来日の際のご指名オーナーシェフのお店でフレンチ…しかも芦屋…
お財布的に怖すぎる。笑
しかしお支払の準備をしていたのにご馳走になってしまったのでした。
おいしかった…

片付けの方はあれを処分しこれを処分し。


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あまり触らない本をベッド下に仕舞うためにベッド下の掃除から始めなければならないという。
この際なので不要の本や漫画も処分したのですが、やっぱり捨てられないものが結構あるのだよー
そして漫画は片付けている最中に読んでしまう。終わるかい。笑

撓んでいた本棚の板も新調して、ついでに仕切り数も増やして…
とあれこれしてしたら、本棚周りが思いの外きれいになって私は大変満足です(感想文か
周囲が綺麗だと気持ちもシャンとします。
環境って大事ですね。

ぼちぼちこれから更新していくつもりでおりますので、どうぞ宜しくお付き合いくださいませ。

「五代友厚」展@大阪企業家ミュージアム

五代友厚展


大阪企業家ミュージアムで開催中の「五代友厚」展に行ってきました。
五代友厚が特段好きな訳ではないのだけれど、大阪まちプロデュースのメルマガで特別展が開催されているとあったので。
ミュージアムのHPを見たら「明治の元勲たちの書簡を展示」とあったので俄然行く気になった。
井上馨の書簡とか出てないだろうか。(真の目的。笑)

こちらのミュージアムに行くのは初めてでした。
平日だったので小学生が見学に来ていたり、割とワイワイした雰囲気でしたが、常設展も結構楽しかったです。ミュージアムの人と話していたから余計だったと思うけれど。
しかし大阪発祥の有名企業の何と多いこと。
大阪は地盤沈下が叫ばれて久しいですが、現状は実に嘆かわしいですな。

「大阪の企業家精神」のルーツというオープニングムービーや江戸時代の古地図等も見ましたが、江戸時代の大坂は実に自主精神に富んだ町である…
大坂も江戸同様「水の都」で、川が市中を流れており、多数の橋が掛かっておりました。
150程あったそうですが、そのうち幕府が作ったのは12橋。
たった12橋!

多くの橋が商人の自腹で作られたことは知っていたけれど、公議橋がそれ程少ないとは思っていなかったので、これは驚いた(奉行所などの役所がある辺りや、与力・同心が住んでいた辺りに掛かっていた天満橋、天神橋などは公儀橋です)。
商人が作った橋では、淀屋の淀屋橋、美濃屋心斎の心斎橋などが特に有名。

堂島の米市場、天満の青物市場、雑喉場魚市場の魚市場の経営をしていたのが淀屋だったというのは初めて知ったわ。
大坂の3大市場を1軒の豪商が握っていたなんて驚きでした。
知らんこと沢山あるわー


五代友厚の誕生日が新暦の2月12日だそうで、それを記念して会期一杯の今週末18日(土)まで入館料が無料になっています。

小学生を避けて何気なく案内を見ていて驚いたのだけれど、五代友厚関係文書の所蔵元が大阪商工会議所やったわ…(ミュージアムの事業運営母体)
国会図書館のマイクロフィルムの原本、大阪にあったのですね。
案内の方と話していたのだけれど、五代の遺族から商工会議所に寄贈されたそうです。
五代は大阪商工会議所の初代会頭でもあるので、史料を集めているとも仰られていた。

今回展示されていたのは14点。
その内五代の手によるものが4点、内1点は西郷隆盛宛。
五代宛の書簡が6点。
宛先は、小松帯刀、大隈重信、大久保利通、渋沢栄一、福沢諭吉、岩倉具視。
ビッグネーム!

井上馨の名前は残念ながらなかったけれど、大久保利通の筆跡なんて関西では滅多に見る機会がないので、これは嬉しかったです。
ちなみに明治元年、2年の書簡が大半でした。

五代繋がりで商工会議所では色々とイベントを企画していたようです。
その内のひとつが「花外楼と明治の群像」。
話だけなら私も行きたかったのだけどな~お食事つきだったのだ。高いのだ…(笑


花外楼は大阪まちプロディースの山根さんにお誘い頂いて食事に行ったことがあるのです。
リニューアル前だけど。
花外楼なんて私みたいなのが行ける所じゃないぜ…


花外楼


花外楼は教科書にも載っている明治6年の大阪会議が開かれた料亭です。
初代が木戸孝允と交流があり、その関係から明治大正昭和の名だたる政治家や軍人がこちらを利用していた。
ちなみに上の花外楼の文字は木戸の筆跡。

10年ほど前、1日だけ揮毫や軸といった所蔵品が公開されたのですが、そらーもーすごかったです。
有名人しかいない。(花外楼に行ってきました
抑々の始まりが木戸だけあって、長州人が多かったように思います。


花外楼_大阪会議


そして花外楼の隣のビルに掛かっている大阪会議のレリーフ。
元の絵は山根さんと妹さんで描いたと言ってはりました。笑

山根さんからは初めサイトの「源氏の里」(源氏のルーツは関西、河内源氏の本拠地は羽曳野と言う話)が切欠で、ご連絡頂いたのですね。懐かしや。
サイト内にある大阪に関係する文章や花外楼訪問記も読んで下さったようで、それで花外楼でイベントがあるけどどう?と声をかけて頂いた。
そういうこともあり花外楼の資料についていくらか話を伺ったりもしたのですが、悪い話ではないのだけれど、あまり書かない方がいいかなあ。

あと空堀にチョコレート専門店エクチュアを呼びこんでくれたのも山根さんですよ!
私はご本人にお会いした時お礼を言いましたよ!(笑)

ふりかえり その4!(ブログ)

1ページになる力がないネタを3つ併せて1ページにしているブログ3連パックコーナー、「問わず語り」(長い)

これも更新している分だけで57ページあるので、まあそこそこの数ですね。
単純計算すると57×3で171話ですが、実際には165話くらいだと思う。
短い、もしくは他のコーナーに持って行き場がないというだけで、実は気に入っている話が多数ある。
数が多いので埋もれているものも結構あるのです。

某お宝番組に出た秋山真之の書簡に関しては、テレビ見ながら釈文採るとか思いもせなんだわ。笑
結局この書簡は松山の某ミュージアムに行ったとのこと、昨年展示されていたようなので、もう図録辺りに釈文が入っているかな?
テレビでは写っていなかった部分もあるし、答え合わせしたいところ。

調べていて純粋に驚いたのは、「海軍のもうひとつの2・26」。
2・26事件で決起した青年将校のひとり、山口一太郎が山口鋭の甥だったことを知った時の驚きったらなかったわ。
驚きと言えば向井弥一の父が江藤新平と従兄弟だと知った時の驚きたるや、という感じだったけど。
向井は広瀬武夫の同期(15期)、山口は秋山真之の同期(17期)で広瀬の柔道仲間のひとりでもある人物。
この時に犠牲になった斎藤実、また辛くも死を免れた岡田啓介(15期)、鈴木貫太郎(14期)も、山口の近しい先輩であり同僚であった筈で、そんな彼らを甥が、と思うと当時存命であった山口はどんな心境だったのかと思う。

地味だけど、個人的に大変好きなのは「Relationship」。
政府と軍が西郷隆盛を殺したことが、明治天皇にとってどれほどのショックだったか。
ふたりの接触期間はそれほど長くないのに、西郷のインパクトの強さよ…

「『桂太郎と森鴎外』」も上げとこう。(※書籍名)
これは近代MTSにおいてある「陸軍ドイツ式、海軍イギリス式」と同じ話になります。
一般書レベルで”陸軍ドイツ式”のこの手の話を書いているものがほとんどないので、この本を見つけた時は嬉しかったな~
陸軍がドイツ式に傾斜したのは確かですが、美味しいとこ取りというのは如何にも日本らしくて面白いと思います。



短いながら笑ってしまったのは、黒島亀人「誤植過ぎ」、板垣退助「死すとも死せず」、高杉晋作・久坂玄瑞「ふしだら100%」、藤原道綱母「ありえないラブレター」、このあたり。

黒島…元帥に愛された恋人参謀
板垣…自由死すとも板垣死せず
高杉・久坂…そういう意味で久坂君が大好きな高杉君(南條範夫)。そういう意味で
道綱母…「あらじとおぼゆるまで」(※ないわーと思うほど)酷いラブレター


春秋戦国、三国志の辺りは懐かしく読みました。
久しくそちらの方は触っていないなあ。
自分では曹操の「短歌行」が好きです。
”青青たる子が衿、悠い悠う我が心”のフレーズが大好き。
三国志は昔は趙雲が一番好きだったのですが(今も好きよ)、今では曹操が一番好きです。
分かりやすい格好よさより、政治家ってすごいなと思い始めた心境の変化による。

あと「ボーン・アイデンティティ」もお気に入り。
これはうまいこと題思いついたと思う。
”The Bourne Identity” ではなくて ”The Bone Identity”です。笑

ふりかえり その3!(江戸)

江戸時代ものの振り返りも、本数自体はそんなに多くないのであっさり終わる。
比較対象の近代が多いのである。
近代は現在107タイトル、147ページである。頑張ってる(誰にも言われないので自分で言う…)
(ちなみに江戸は9タイトル28ページ、平安は16タイトル23ページ)


江戸も同じ話を割とトレースして書いている印象がある。笑
扱う時代が大体固まっているから当然と言えば当然なのだけれど、少しずつ話がずれながら大体が少しずつ繋がっているという、我ながら多少の不思議さを感じるものが多い。

何と言っても、近代とはまた違う感じで好きな人物が多いというのが大きい。
本当に”人物”が多い。
近代の人物を見ていると、なんというかスケールが小さいように感じます。
スケールと言うか、ゆとりとか遊びがないんだな、近代…
人物というより社会の問題のような気がするが。

近代は鎖国でもなく士農工商も一応はなく、職業も居住地も一応は好きな所を選べて、江戸時代と比較すると遥かに自由な筈なのに、国家の決めた規範に嵌められることがとても多くて、遥かに不自由な様に思う。
なんていうか、せせこましい…(自分が好きな時代に向かって吐く言葉か…
明治後期辺りからは閉塞感で息苦しくて、偶に窒息しそうになる。

江戸中期後期のいい所ばかりを見ているからだろうと思うのだけれど、あの辺りは見ていて気持ちがふわっとすることが多い。笑


そんなこんなですが、思い入れがあるのは、江戸時代から近代への人物数珠繋ぎを書いた「String」、あと「お奉行様」。
長い話は苦労するので、どちらかと言うとランクイン?しやすい。笑
結構しんどいし大変な思いをしたのだけれど、どちらも書いていてとても楽しかった。

Stringはどこまで話が続くかと思いながら書いていましたが、平賀源内から始まって原抱琴(原敬の甥)・野村胡堂(銭形平次の作者)の辺りまで。
大体33・4人繋いだ感じですか。
私にしては良くできた方だろう。
もう3年程前の連載ですが、未だに蘭方医関連や間宮林蔵の話、天保の大飢饉についてのエントリーは集客力があるようで、リンクを貼っていただいたりしています。
感謝感謝。


「矢部定謙と大塩平八郎」は取り上げられるだけでも結構幸せと言うか。
どれだけ幸せの閾値低いねんという感じですが(笑)、好きな人物ふたりを取り上げられて、これもお気に入りである。
特に矢部定謙については書けて良かったと思うんだぜ…!
矢部さま(大好き)(※話し出すと長い


そして一般に”蛮社の獄の切欠を作った密告者”と言われる人物を描いた「花井虎一のこと」は、とても思い出深い文章です。
子孫の方から「悪人だったのでしょうか」というコメントを頂いてややショックを受け、少し調べてみたのですね。
そうしたら意外なことが分かりまして。

実際には尚歯会に関する情報提供者であること、密告者の汚名をかぶっている事が判明しました。
そして更には薩摩藩、薩摩切子の研究の基礎になった著作をした人物であることが分かった。
今私たちが薩摩切子を目にすることが出来るのは、花井のおかげです。
あれこれと調べたことを「墓参した時に花井に伝えてくる」と言って頂いた言葉がとても嬉しかった。
これは鮮烈な思い出として残っている。

あとはそうだな、日本における男色の話「きみとぼく」。
これも割と根強い人気が…(笑)皆さん好きですね(こら)

久々に悪左府頼長の話を読んで笑った。
大河が清盛だったころ、大河レビューと共にめちゃくちゃ読まれてたわこのページ(笑)
山本耕史は大変なはまり役でした。
というか、今思えばこの方実生活で悪左府と似たようなことしててワロタ。
(靡かない相手(♂)にラブレター攻撃、家に押しかけたり陰陽師で祈禱などストーキング行為多数)


ふりかえり その2!(平安)

熱下がったー。
平熱が低いんですよ。普段35.7とかなんですよ。
39.2とか死にそうなんですよ。
と言うことで生還しました(大袈裟)が、水曜日午後休、木金休み…
明日は出勤日だったのに休み…orz
仕事のことを思うと気持ちが死にそう。
割とダメージでかい。ええ、色々と…

***

続いてる。笑(寝とらんかい

近代の文章の読み直しが終了して、平安の文章の読み直しも終了しました。
平安関係は本数が少ないだけに、どれもこれも思い入れがあります。
本当に好きなことしか書いていない。笑

そしてそろそろ書き直しが必要だなと思うものも、ちらほらあるのですね。
源義家関連とか…もう少し勉強せねば。

特に思い入れがあるのは
後三年合戦と平泉成立についての 「残心」
安倍貞任のついての 「落日譜~貞任の首」

平安の方はタイトルが気に入っているものが多いです。
源氏の兄弟と安倍の兄弟を書いた「兄弟は、」は上手いこと言ったと思う。我ながら。笑
 源氏→兄弟は他人の始まり
 安倍→兄弟は左右の手
安倍の方は「きょうだい」ではなく「けいてい」と読みます。
『魏志 王脩伝』からの言葉。

貞任は古代東北史を好きになる切欠になった人物なので、色々と思う所があるのですね。
語りつくせないわ…
安倍氏については不思議だなと思う所も沢山あって、歴史的にどうこうというのも、勿論あるのだけれど、兄弟が沢山いて仲がいいというのは、妄想が広がって楽しいです。
偶に創作読み返す(笑)

研究書を読んでいても、安倍兄弟について否定的に書いているものを読んだことがないのですよ。
12年に及ぶ前九年合戦で、9人兄弟(分かっているだけで)、ひとりの脱落も裏切りもなく戦争の終結まで行ったというのは、中々珍しい例だと思います。

抑々が朝廷から狙われる程の豊かさであったから物欲で転ぶようでもなく(当時まだ銭は流通していないので「金銭」で転ぶではない。笑)。
官職や位をやると言われても、それを持っていたのに父親がどんな目に遭ったかを目の当たりにしているというのがあるのだろうなあ。
一旦止んだ戦闘、その再発の切欠が安倍方(蝦夷)に対する侮辱から始まっているというのも、あったと思う。
朝廷側に転ばない要素しかなかったろう。

途中からではありますが、その兄弟を纏めていたのは貞任ですし。
その貞任がどんな人だったかなと想像するのも、安倍の人たちを想像するのも楽しいです。
歴史の醍醐味(空想編)…


自分で読んでも面白いなと思うのは以下。
平安時代の衣食住について書いた「平安ライフ」
平安時代の髪型について書いた 「平安スタイル」
題そのまんま 「源氏の宝刀~髭切と膝丸」

前者は私のサイトの不動のセンターです。笑(近代…
これらは纏めるのが本当に大変だったので、多くの方に読んで頂いているのが本当に嬉しい。
昔の衣食住は興味を誘う内容だと思う。
全3ページですが、1か月で大体1000超位のセッションがあります。ありがとうございます。
よくツイッターからもリンクされてますなあ。

1000年違うと今とは色々と価値観が違うということが、よく分かるページでもあります。
ご飯にお箸を突き立てるのが正しい作法とか、普通に驚く。
当時の女性の正式な座り方は正座ではなく立膝か胡坐だったとかね。
江戸時代の初め頃でもそうなのですが、その通りに大河ドラマで戦国時代ものを放送したらクレームが来たと時代考証の方の本で読んだ。
行儀とかとちゃうでえ…

そして衣食住全てを見て思うことは、平安時代にはタイムスリップしたくない。(そこ?)
あ、でも貞任や経清や清衡には会ってみたいぞ…
義家にも会ってみたいぞ…

「残心」は、これも纏めるのがかなり大変でした…
サイトがどうしても前九年の方に偏る中、書いておきたいと思っていた後三年合戦の話。
書けて本当に良かったです。
去年は念願の金沢の柵跡にも行けたし、史跡の方も更新していきたいなあ…

そして読み直して思うのは、藤原清衡という人物についてですね。
清衡は本当に好きだなあ…
あの環境で、よくぞこんな人物が生まれたものだと本気で思う。

造った人間の心が分かる中尊寺が、私は寺社仏閣の中で一番好きだ。
去年は本当に平泉に行けて良かった。
久しぶり過ぎる位久しぶりだったけど、泰衡が蓮も見られたし。
そして金色堂の前では、やっぱり時間が止まってしまう。

清衡はねー身長159センチの痩身で、AB型。
戦乱を生き抜いた人らしい、筋骨のしっかりした人であったようです。
前半生で人生のほぼ全ての苦難に匹敵するような苦難を得てしまっただろうに、どうしてあんなことが言えるのだろうと「供養願文」見るたびに思うのですね。

旅行に行くたびに好きだという気持ちがアップデートされていきますな。

さて、もう寝ます。(20時半…)(薬効いてるからいい気になってるが病人である。笑
Copyright © 土原ゆうき(ヒジハラ)