Para Bellum

Si vis pacem, para bellum

固め修めし大八洲(8)

戦艦八島の話、続き。

八島が沈んだのは明治37年5月15日のこと。
当時はまだ旅順封鎖中、その哨戒の航路が一定していたため危険を感じ、航路を変えようというその最終日だった。
日本海軍はこれ以前、ロシア海軍の航路が同一である事に気付いて水雷を設置、旗艦のペトロパウロウスクを沈めています(4/13)。
その轍を踏むんじゃないかということだったのだけれど、踏んでしまった。


八島艦長であった坂本一の回想によると、触雷の瞬間はそれ程大きな衝撃ではなかったようです。
右舷中央からドンっという音がして、水雷だなと思ったらまたドンっ。
今度は前方から。
そして艦は右舷に傾斜し始めた。
排水作業等の対処はするものの傾斜は直らず、割と早い段階で「これは無理かな」という感じになったみたい。


戦艦八島 八島


ただ旅順沖で敵の目の届く位置なので、そこからは出たい。
根拠地である鎮海までもって行きたい。


http://blog-imgs-72.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/201558.jpg


そう考えて必要定員を残して全員退艦させて、なんとかかんとか航行しようとしていた最中、初瀬が2回目の触雷で大爆発した。

八島は3回、初瀬は2回触雷している。
先陣を切って進んでいた初瀬の方が深刻だったようで、1度目の触雷でスタンウォークまで沈んでいた。
前方で曳船準備作業、後方で排水・補修作業をしている時に2回目の触雷、これが後部火薬室の誘爆を引き起こした。


http://blog-imgs-72.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/IMG_0557.jpg 初瀬


ものすごい大爆発だったようです。
穴という穴から火炎と黒煙が吹き出し、メインマストのてっぺんまで炎が巻き上がる。
そして周囲が見ている間に海に沈んでいった。
2分とか、そこらの出来事だったみたい。

初瀬には広瀬武夫の同期、15期がふたり乗組んでいます。
ふたりとも助かっている。
臼井兼太郎(既出)と小林恵吉郎。サイトに写真出てます。
当時水雷長であった小林の回想がありますが、よく助かったと思う。
溺死しかけている。
航海長であった千坂智次郎(既出)も九死に一生を得ていて、助けられた時の事をほとんど覚えていないような状態だった。

一方艦体後部で補修作業の監督をしていた副長有森元吉中佐は亡くなっている。
これは当時の新聞に合同葬儀の広告が出ていたのを見ました。
この爆発で乗員の半数以上、500人弱が亡くなっています。
初瀬の爆発は旅順にいるロシア海軍も確認してますし、これだけ人が沢山亡くなっていたら流石に隠せない。


この日、初瀬、敷島、八島で共に行動していて、無事であった敷島が救助作業に当たり…
たかったのだけれど、この場で流石に戦艦もう1隻は失えない。
救助作業の準備をしている最中に、敷島は早く根拠地に帰れと言われ、涙を飲んで見守っていた。

他の僚艦、笠置と龍田が救助作業に当たったのですが、その途中での大爆発。
誰の回顧を読んでも、ものすごい衝撃だったようです。
爆発の様相も酷く、また目の前で人が瀧のようにフネから落ちていく。

敷島艦長であった寺垣猪三もひっくり返った初瀬が沈んでいく様を見てからというもの、艦の下部に塗るあの赤い塗料、あの色が嫌で嫌で堪らないと言っていて、それが酷く印象的でした。



http://blog-imgs-72.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/0704280078.jpg (※スタンウォーク)



つ、つづく…orz


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ふりさけ見れば春日なる

去年12月に向井弥一のご子孫様から更に写真を頂いてしまった。
向井弥一のポートレートと、艤装中の戦艦三笠、三笠上甲板での回航員たちの集合写真。
去年はクリスマスプレゼントを頂きまくったような気がします。
後半は毎月が12月でした .:*・゜ ゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。 (こんな感じだった。笑)
誕生月なのですごく嬉しかった。

回航員の集合写真はどこかで見たことがるような気がするんだなあ。
どこで見たんだろう。
似た写真をそう勘違いしているだけなのか、よく分からない。山梨勝之進の遺芳録かなあ…
しかしひとりで写っている礼服姿のピシッとした向井が大変カッコ良い。
明治32年とか3年とか4年とかその辺りなので32歳とか3歳とか4歳なのだけれど、結構な髭が貯えられていても全然不自然じゃない不思議…
様になっていて格好いいんだよね。うん。カッコいい。カッコいいぞ向井^^


三笠での写真と言えば2葉探している写真がありまして。
探しているというか持っているのですが。
『坂の上の雲』がドラマ放映されていた頃に記念艦みかさでその関連で特別展が開かれた際に出ていた写真なので、ご覧になった方も多くいると思います。


http://blog-imgs-72.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/20141218.jpg


一部だけ。
秋山真之と広瀬武夫がワンフレームにいる写真。
広瀬がロシアにいた頃、軍事視察のため英仏独3ヶ国を旅行しますが、途中イギリスで秋山と合流しています。
これはイギリス、建造中の三笠を見学した時の写真で、上村彦之丞(朝日回航委員長)や釜屋忠道(11期)、臼井兼太郎(15期)、黒井悌次郎(12期)等も写っています。
同時に撮られた写真の一部がこちら。


http://blog-imgs-72.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/20141218_2.jpg


広瀬と秋山が一緒に写っているのが嬉しくて、写真用紙に印刷して部屋に張っている。笑
写真の持ち主が白井頼吉という造船士官で(多分他の人にも配られてるだろうけど)、この方の遺品に含まれているということは分かっているのだけれど何を見たらこの写真を確認できるのかが分からない。
数年前からちょこちょこ気が付いた時に調べてはいるのだけれど、どうも分からないんだよねえ。
記念艦みかさに聞いたら教えてくれるんだろうか。


広瀬の当時の行動を見ると、明治33年、

4/23 ロンドンから北イギリス(ニューカッスル)ヘ出発
    ・上村彦之丞、黒井悌次郎とアームストロング社来訪。初瀬、出雲、磐手を見学
    ・ニューカッスルで秋山真之、釜屋忠道と合流、エジンバラ、グラスゴー、バロー・イン・ファーネス等を共に視察
4/28 グレンジ(湯治場)止宿(ヴィッカース・アームストロング社バロー造船所へ向かう途中)
    ・白井頼吉、臼井兼太郎も一向に参加

出てくる名前と写っている人、合致してますね。
戦艦三笠はバロー・イン・ファーネス市にあるヴィッカース・アームストロング社のバロー造船所で製造されました。
5月2日にはロンドンに戻ってきているので、撮影時期は4月29日~5月1日の間だと思います。
4月末だろう。

そこから秋山と一緒にフランスに渡り、ドイツに出かけて別れています。
当時はフランスにもこのブログで名前が出てくる人が滞在していまして、駐在武官であった伊東義五郎、駐在員であった森山慶三郎、またイギリス駐在員であった山本英輔も旅行中でフランスにいた。
そういった人たちと一緒に視察に出て、みんなで寄せ書きして広瀬勝比古に葉書を送っています。
「将来は皆アドミラルになる豪傑たちの自筆なので大切にしてください」
という広瀬のコメント付き。


広瀬武夫、秋山真之


この葉書は去年末に放送されていた「滝廉太郎と廣瀬武夫」でも紹介されていました。


続きます


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