Para Bellum

Si vis pacem, para bellum

海軍兵学校15期!(8) 海軍的華麗なる一族

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この話は8回シリーズです。
追記改訂の上サイトに纏めて移行済み。そちらの方が読みやすい。
サイト > WORKS > 歴史話 > FRWL(広瀬武夫コーナー) > 考察・考証 よりどうぞ。
題は 「We are!」 に変えています。

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題(笑)

海軍兵学校15期、続き!

石川寿次郎


長兄が石川伍一、弟に石川漣平陸軍中将、甥に石川達三がいます。
石川達三、あの作家の石川達三です。
『生きてゐる兵隊』で国語の便覧に載ってますな。

作家か。
何か書き残していないかと自伝を読んだのだけれど、達三が生まれて間もなく石川寿次郎が亡くなっているので、全然面識はなかった。
達三の父が教師であちこち転勤していまして、その一時的な家として石川寿次郎の家に住んだという記述だけがありました。
その時にはすでに寿次郎は亡くなっており、空き家になっていたとのこと。(『私ひとりの私』)
石川寿次郎の没年は明治39年、公務中に乗り組んでいた厳島で亡くなっている。

兄弟の中で一番有名なのは恐らく石川伍一で、この人は日清戦争の前から清国で海軍の諜報活動をしていた。
戦争が始まると周囲から帰国を勧められたのだけれどそれを断り活動を続行、その内清国側に捕まりまして、銃殺されています。



あと面白いな~と思ったのは、平原文三郎という人物。
ハンモックナンバーは79!(笑)
分かっている段階では最終ランクが中佐、大正6年には南洋、オランダ領のとある島に移住しています。
中佐だったら、日露戦争終わってすぐ位に海軍辞めたのかな…

移住して何をしていたかと言うと、フルーツと天然ゴムの栽培をしていた。
農場経営をしていたんじゃないかと思う。
いやー…一体どういう経緯だったんでしょうね。笑
小杉辰三の方なら、まだ納得するんですけど、平原の場合は海軍と隔たり過ぎてる気が…^^;
ゴムだけならそうかなと思わん気もないけどフルーツて。


小杉辰三の兄が、北海道開拓に関わった後台湾に移住してるんですよ。
その後厦門に移り、そこから家族に「1・2週間程出かけてくる」と言ったきり帰ってこなかった。
東南アジアを転々として、最終的にはパプアニューギニアに住んでいたようです。
待てども帰ってこないので家族は日本に引き上げてしまった。
で、結局小杉兄が帰ってきたのがン十年後…。

南方興進の為に活動していたようで、その援助を募るための帰国だった。
その時に弟が財部彪や竹下勇と同期であった誼から力添えをしてもらって、古い軍艦を貰うという所まで話が発展したらしい。(昭和7・8年)
ただこの兄が帰国中に風邪に罹って亡くなってしまい、その話はなくなったようです。
当時の新聞にそういうことが載っていた。
これってもしかして平原と面識あったんじゃないの?と思う訳です…^^;



華麗なる?一族というか、華麗なる?親族。海軍編。

山中柴吉


http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014_0709.gif

これは以前このブログで触れたことがありますね。
山下友彦は山下源太郎の養嗣子です。書き忘れました。

黒井悌次郎と山下源太郎のラインがどう繋がるのかがよく分からないのよ…
あと、どういう繋がりかが分からないけれど、山本五十六の妻方の親戚に南雲忠一がいるとのこと。
山本五十六のお孫さんがネット上のインタビューで仰っていました。

ちなみに山下源太郎は海兵10期、広瀬武夫の兄広瀬勝比古の同期で、仲が良かったそうですん。
一緒に写ってる写真が手元にある。

(訂正:山口多聞と奥宮正武の妻は四竈の兄の子です)
(加筆修正版はこちら



岡田啓介、向井弥一


系図的に更に難易度が上がるのがこちら!
ごめんね!これ以上小さく作れなかったの!

http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014_0709_03.gif


個人的には

 こんな感じ。


日露戦争の際中堅以上で有名な方の名前に色を付けました。
立見尚文、鈴木貫太郎、岡田啓介、佐藤鉄太郎、小笠原長生、東郷平八郎、向井弥一、正木義太が親戚である!

訳分からん。


『佐藤鉄太郎海軍中将伝』(石川泰志/原書房/2000)の系図を参考にしました。
多分合ってると思うのだけど、ここまで入り組んで来ると正直自信がない!^^;
どっ、努力は認めてよね!(笑)
というか、佐藤伝も2か所、ケアレスミスがあるんよ…

向井弥一が繋がるというのは、数日前にご子孫様から教えて頂いたホットな情報です。
流石に驚きました…
藤江兄弟の姉妹が、向井の後妻さんだそうで。

兄の藤江逸志は機関科の将校で、栗田富太郎の同期になります。



今のところはこんな感じかな~…
他には旅順閉塞に参加した人(実施部隊・掩護部隊)も複数いますし、唐津の町長になった人もいる。
日本海海戦時、信濃丸の副長で金鵄勲章をもらった人もいます。
公家じゃないかと思う人がいるのだけど、ちょっとよく分からなかったり。

あともうひとり、なにー!と思った人がいるのだけれど、その人の事はついでではなくきちんと書きたいので、また後日ということで。
個人的には竹田市に寄稿してもいいネタだと思う。笑


とりあえず海兵15期!はこれでおしまい!
もう少し書きたいこともあるけれど、そんなに掘り下げても…という感じかな、と思わんでもない(笑)
そういう感じなので、折を見ておいおい書いて行こうかと思います。
個人的にほっこりするような話も、広瀬が絡んでいる話も結構あるんだぜ…

また15期関連で何か情報があったら教えてください。ぜひ。
広瀬絡みならなお歓迎(笑)

ここまでお付き合い頂きましてありがとうございました^^


秋山の連載からほぼ連日更新で疲れたわ~


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関連記事

真田山陸軍墓地(3)@大阪

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この史跡は5回シリーズです。
追記改訂の上サイトに纏めて移行済み。そちらの方が読みやすい。
サイト > WORKS > 史跡 > 近代 > 関西 > 大阪 よりどうぞ。

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今1時前。
しんどくてちょっと寝てたら日付跨いじゃった…
テレビ掛けたら中村獅童が伊藤博文のコスプレして歌い踊り狂ってるんだが。
え、なにこれこわいwwww
坂本龍馬とか西郷隆盛とか陸奥宗光のコスプレして歌い踊り狂ってるんだが。
ちょw夜中になんてもの見せるNHK教育(!)wwww
目が覚めたじゃねえかwww


お、大阪天王寺にある真田山陸軍墓地、続き…

普通に地図出すよりグーグルアース見た方が分かりやすいことに今更気づいた。
先日宰相山公園を目指せばと書きましたが、よく見たら宰相山西公園でござった…orz
宰相山公園は真田幸村の抜け穴がある三光神社の方です。
そそっかしくてごめんね(てへぺろ)(きもい)


真田山陸軍墓地_グーグル


昔はもっと広大だったものの、昭和3年に小学校を作るからということで、南側の土地を譲渡した(現市立真田山小学校)。
また飛び地を騎兵第4連隊用に用途変更する等で、現在の面積は最盛期の約半分になっています。

上空から見たら畑の畝のように見えますが、これ、全部個人墓碑です。
幾つかのブロックに分かれている。


① 日清戦争・台湾領有戦争 軍夫・職人などの墓
② 西南戦争 戦没者・病没者の墓
⑤ 日清戦争・台湾領有戦争 戦病没した兵士の墓
⑥ 日露戦争 戦病没した兵士の墓
⑦ 将校 墓


番号飛んどるやんと自分で突っ込んでみる。
真田山陸軍墓地維持会が纏めたナンバリング(アルファベットだけど)の通りに番号振りました。
振った後に気付いたんだけど、それは階級毎のブロック分けだった。
軍夫役、兵卒、下士官、将校といった感じで。
…修正できなくなった後に気付いたんだよ!(笑)
ごめんねそそっかしくて!(笑)(作り直す気はない)

階級ごとではちょっと分かりにくいかなと思いまして、ナンバリングはそのままで、大体どこのブロックにどの戦争の戦没者が眠っているのかを纏めてみました。
とはいえ、厳密ではなく入り混じっている所もあるので、中心になっているのがこの戦争で亡くなった方々、という感じでお願いします。
また平時に軍務についている最中に亡くなっている方もこちらの墓地には含まれています。
大工さんのお墓とかもあるで。

ちなみに③の所に一番古い墓碑(明治3年)、①の右上の辺りに清人・ドイツ人捕虜の墓碑、⑥の左下の辺りに徴兵令以前~西南戦争以前の墓碑があります。
一番下に真田山小学校がありますが、ここが昭和初期に割譲された所。
⑥にこの墓地でも古い時代のお墓が集まっていることから、墓地の南部に古い時代の墓碑があったことが想像されている。


真田山陸軍墓地


②から①を望む。


真田山陸軍墓地


入り口の方から①の墓碑群を臨む。
日清戦争関係の墓碑です。木の奥に見えているのが、西南戦争関係(②)。

こちらの墓碑、古いものであればある程、経年劣化による崩落、破損、落剝が半端なく進んでおります。
そもそも砂岩でできているので脆いのよ…
早急な保全保護の対処が必要なのは明らかです。
現在こちらは維持会と地元のボランティアの方々が維持活動をされているそうですが、墓石の修復なんかはどうなってるのか分からない。
国に要請はしているようですが、寄付を募ってらっしゃるあたり、多分行政は動いてないと思われます。
本当はこういうことこそ行政がしないといけない筈なんだが。
国の為に亡くなった人たちやぞ。


真田山陸軍墓地


墓碑に刻まれている文字が見えます。
「明治十年鹿児島縣賊徒征討之役」とある。見えます?
元の大きさの写真でも光の加減で字が読めないんですが、
?月6日に負傷、鹿児島県日向国臼杵郡でどうにかなって、?月2日に大阪陸軍臨時病院で没している。(鹿児島県日向国って変ですけど、そう書いてあるので)

西南戦争以前の、本当に初期の墓碑には出身地、だれだれの次男、どこどこでどうなって、いつ亡くなったということが書かれているものもある。
研究会がすべての墓碑の碑文を文字に書き起こしているから、書かれていたことは残る。
残るけどね、研究書にも書かれていますけど、墓碑には亡くなった方の人生が刻まれてるんですよね。
先日墓碑を折ったり碑面を剥がした不心得の大ばか者がいると書きましたが、そういうの、本当に腹が立つ。
文化財とかそういう以前に人のお墓にそういうことをする神経が分からない。


真田山陸軍墓地


西南戦争(②)関係の墓碑の間を縫うように歩いていたら見つけてはっとした墓碑。

警部補心得 立見尚志之墓
 新撰旅団第四大隊第三中隊 明治十年九月九日死亡

写真には写っていませんが(左写真の裏面)、三重県出身。
三重で新撰旅団、それはモロ桑名ですね。
桑名で立見といえば立見尚文大将なんですが、え、なに、親族?

…と思いまして。
帰って調べたんですよ。
そうしたら立見大将の義父(伯父、養子に行った)が立見尚志なんですわ…
これってもしかして同一人物?
いやでも…警部補心得とはいえ戦争に出られるような年齢なのか。

自分でできる範囲でいくらか調べてみたんですが、立見大将の義父として名前が出てくる程度でどういう人物かは分からなかった。
『三百藩家臣人名事典』に載ってない時点で私にはどうしようもないわーorz
『立見大将伝』も近隣図書館にはなかったしなあ…

続きます


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