Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

(18)岩手人脈 2

東條英機の父は東條英教といいまして、南部藩の出身になります。
安政2(1855)年生まれ、小村寿太郎、犬養毅、出羽重遠、井口省吾らと同年になります。
同じく南部藩出身の原敬はその翌年生まれで、彼らが12・3歳の頃に明治維新を迎えた。

野辺地尚義の件で触れましたが、維新の際、南部藩ははからずも”朝敵”となってしまいまして、その藩の子弟であった彼らも苦難の道を歩むことになります。
東北諸藩出身者は、総じてその藩と維新の経緯から大した出世が見込めない風があった。
日露戦争後の明治39年に海軍兵学校に入った井上成美(宮城・仙台)でさえ、宮城出身だから出世はできないと人から言われている。
その30年前、35年前はどうであったかなんて、まあ書かなくても想像に難くない。


ただ盛岡の子弟は大変ながらもまだラッキーだったんじゃないかと。
南部藩には作人館という藩校がありまして、維新時に一旦休校になったか廃校になっていたものの、明治3年に再校したようです。
そこに入って勉強したのが東條英教であり、原敬であった。
作人館にしても旧制盛岡中学にしても、近代史において盛岡出身の人材輩出が多かったのは教育が充実していたからじゃないかと密かに思ってます。


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東條と原、同年代の事もあり、上京までのステップはほぼ同時期。
東條はストレートに陸軍の方に進んだようですが、原は海兵を受験して落ちたり、司法学校を賄い征伐で辞めざるを得なくなったり。
若い頃は苦難苦学の道を歩んでいただけに、躓きなく陸軍で歩んでいる東條は原にとっても眩しい存在だったみたい。
郷里の後輩に陸海軍への進路を進めるような書簡を郷里の友人(八角彪一郎)に出しています。
東條は盛岡出身者の期待の星だったようですな。


ただ原もその後は井上馨、陸奥宗光らに見出されて政府高官になり、そして伊藤博文に誘われて立憲政友会に入ることになり、岩手県出身の出世頭といえば東條英教と原敬になっていた。
そういうこともあって、旧主家の世話係というか教育係というか、ふたりはそんなものを務めるような立場になっていました。

南部家が旧藩に縁のある有識者に顧問を頼むようになったのが明治38年で、東條を通して原が依頼された。
明治38年といえば忙しい時期でんがな~^^;
原は既に政友会の重鎮になっていまして、日露戦争後の戦後経営を巡って桂太郎と取引したり…
多忙であまり気乗りしなかったようですが、結局は引き受けている。
で、その時に岩手出身の有力者に協力を依頼して、顧問団を作ったみたいです。

その当時のメンバーにどういう人がいたのかというのは私には分かりませんが、多分前回紅葉館関係で名前を出した人たちとほぼ重なると思われます^^;
大正10(1911)年に原敬が東京駅で暗殺された後は、田舎館愛橘、鹿島精一が中心になっていたようです。(東條は大正2年没)
で、現役を退いた後らしいけど、山屋他人もそれに加わっている。


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上はその関係者が写っている写真。鹿島以外は海軍軍人。

栃内曽次郎には兄・栃内元吉がいまして、この方は陸軍中将にまでなっています。
15歳離れており、兄というよりは実質父親のようだった模様。
この兄は明治3年に作人館に入り、そこで原敬と同室であった縁から終生の親友でした。
開拓使として北海道にいたものの、西南戦争の際は屯田兵として従軍しています。
栃内曽次郎が札幌農学校から攻玉社、海兵に進んだというのは、この兄について行っていたから。


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また原が作人館にいた際に得た友人には八角彪一郎がおり、この八角の妻・きよが栃内元吉の妹(曽次郎の姉)になる。
その八角の子供が八角三郎。
栃内から見たら八角三郎は甥っ子になります。
山屋他人も八角の叔父にあたるそうです。
山屋との関係は色々確認できるところはしたんだけど、どの線で繋がるのかはトレースできなかった…
単に私が情報不足なだけで、緒方竹虎と高橋文彦さんの本に書かれているので嘘ではないと思う。


この八角三郎に海軍に行け!と勧めたのが父の親友・原敬でして、それでお前もどうだと誘った親友が米内光政になります。
八角と米内は盛岡中学の同級生でした。
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