Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

ダイバーシティ(5’)

ダイバーシティをお読み頂きました方、ありがとうございました。

山本信次郎はクリスチャンでした。
今回の更新分でも少し触れましたが、クリスチャンである事が海軍軍人としての出世の枷にはなっていなかったようなのですね。
将官への進級要件である「大艦での艦長経験がある」を満たしていないけれども、最終は少将。
ただしこの要件には例外があるようなので、山本はその例外であったかと思われます。

クリスチャンで、かつ古い時代の海軍士官としては瓜生外吉大将がいますが、この方は大艦の艦長どころではないわな。笑
海軍は宗教にはあまり頓着しなかったのだろうか…

ただ大本教に関わり部内で布教をした秋山真之や浅野正恭(海兵15)を思うと、頓着しなかったということはなかったと思う。
時代背景も多分にあるだろうし、当時の当局者にも多少は左右されるだろうし。

大本教は国家神道(の祭祀者である天皇)を大本教の下に置くものなので、海軍のみならず国家として容認できるものではなかったということもあるだろう(そしてこの新興宗教は大正中期から爆発的に信者数を伸ばし、昭和初期には国民の約1割が信者になってました。国家としては看過できず、2度にわたり弾圧しています)。

山本や瓜生は海軍で布教活動をしていたような形跡がないので、その辺りに差があったのか。
しかし海軍士官数の内、どの位の割合でクリスチャンがいたのかはちょっと不明。

同じ山本でも山本権兵衛の方ですが、明治20年代の終わり頃、広瀬武夫と財部彪、上泉徳弥が3人連れだって山本宅に柔道研究会を設立したいと話に行ったことがある。
その時に
「海軍部内に小団体が発生するのは徹頭徹尾好ましくない」
と言葉を尽くして言われているのですよ。

小団体でさえ。

こういう事を考えても、横須賀の海軍機関学校の近くに教会があり、機関学校生徒がそこに通っているとか、横須賀・呉・佐世保の鎮守府が設置されている所に軍人ホームがある、というのは内心問題だと感じていたのではないかと、私なんかは思うのですが。

ただ山本信次郎が進路を宗教か軍人かで迷った時、フランス人宣教師が勧めたのは後者で、曰く、
「軍人として国の為に尽くすと同時にカトリックの為に働きなさい」
全ての人がこうではなかっただろうけれど、国家(海軍)が向う所と矛盾しなければとりあえずは良かったのか?


しかしながら『歴代海軍大将全覧』(半藤一利他/中公新書ラクレ/2005)の瓜生外吉の項目には、昭和期の話だろうけど海軍でも段々クリスチャンが増えて問題になるとあるのですね。

この辺り、どれぐらい増えてどう問題になったのかを知りたい所ですが、何を見たらいいのかが良く分からない^^;
そこまでこの連載で触れるのは方向も違うしなと(放置
書籍というより論文になるのではないかと思うわー

しかし日蓮宗は問題にはならんかったんか。笑(意地悪な見方
こっちも団体的な感じになっとったぞ。
(とはいえこちらは参加者が東郷平八郎だったり上村彦之丞だったり佐藤鉄太郎だったり…


とまれ、ダイバーシティは恐らく次の話で終了です。
まだ書けていないので暫しお待ちいただけばと思いますん。
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Sweet Home

本の返却の関係でダイバーシティの続きをそろそろ書かねば…と思った矢先に予約していた本がやって来るという罠。
海兵17期、秋山真之と同期同郷の山路一善の娘さんの本を見つけましてね(有名な方のようでした)。

読んでいたのですが、何という幸せ家族…
山路のイメージとはかけ離れとるー!
とりあえず山路が家でパパと呼ばれていたことに驚いたわ。


確かに山本五十六の家でも、妻礼子さんが子供たちに向かってお父さん(五十六)のことを「パパちゃん」と言ってたよ。
原敬の家でも、養嗣子貢さんが養子になる前、原家で預けられていた時に原敬の内縁の妻を「ママちゃん」と呼んでいた。
え、じゃあ、じゃあ、原敬の事も「パパちゃん」…?
原敬を…、パパ…?


原敬 


と思いきや、流石にそうは呼べなかったらしく(笑)
おじさんと呼んでいた。

原貢は原敬の姪の子供ですが、家庭の事情で原家に預けられてから養子になる迄期間があり、幼心に自分だけが苗字が違うのが悲しかったそうです。
そうであったため養子になった時は嬉しくて嬉しくて、何の衒いも躊躇いもなく原の「おじさん」を「お父さん」と呼んだ。
これには原もちょっとびっくりしたらしい。笑
原も子供好きだからなー嬉しかったんじゃないかなー

料亭に行ってもハーフ(半玉/10代初め~後半の半人前の芸者)にもってもてだったそうですよ。笑
半玉がみーんな原の側にいっちゃうと、加藤友三郎も言っている。笑
話が上手だから、楽しいの。
演説は貢に義理にも上手いとは言えないと言われる程のヘッタクソなんですけどね!(加藤にも言われとります)

上の写真は昨日の新聞に載っていた原。
恐らく首相就任後の撮影だと思われますが、初めて見た(多分)ので切り取っておいた。


それはいいのですが、山路家裕福やわ…
芝白金に3000坪の家。
門を入ってから玄関までは並木道になっている、家というか正に御屋敷…^^;
そして向い側には財部彪の家。
あー芝白金三光町か。目の前か。
住所調べたら山路の家、芝白金三光町519番でした。
財部の家も恐らく同等規模程度かそれ以上であったのではないかと思います。

しっかしアレだね。
山路と財部は相婿になる訳ですが、奥さんが…大分違う…
財部の妻は山本権兵衛の長女、山路の妻は次女ですが、うむ…
山路の妻・すえちゃん。

彼女がね、滅茶苦茶素敵な女性なのよ!
ママ大好きの子供目線からの母親像(しかも筆者は母が44歳の時の末っ子。第8子)なので、多少贔屓目に見ている所もあるだろうけど、それを差し置いてもめっちゃ素敵な女性である。
夫と子供への愛と優しさに溢れとるね。
こういう家庭に育つ子供は幸せだと思う。
凄いわー
理想的な「the 日本の母」だわ。


屋敷には行儀見習いのお手伝いさんが沢山いたものの、出来ることはすえさんがほぼすべて自分で行っていたそうです。
料理が大層上手だったらしい。
読んでいて、大正末期~昭和初期に主婦がこんなの作れたんだと驚きました。
主婦と言っても実父は海軍の長年の実力者で2度の首相経験者とか、夫が海外経験も豊富な海軍中将っちゅうのは、大分世間一般の主婦とは様子が違いますけれども^^;

上がっていたのはグラタン、タンシチュー、コールドミート、ローストビーフ等。
子供たちのおやつもほぼ手作りだったそうで、ゼリー、フルーツポンチ、プリン、ビスケット、クッキー、パウンドケーキ、カステラ、タピオカのプリン、パイ、お団子、お汁粉…など。

タピオカのプリン!?

タピオカが一般的なってきたのってこの15年程だと思うのですが、山路家では既に食べていた。

実父山本権兵衛が郷土のお菓子・かるかんが好きでね、道具を態々取り寄せて自分で作っていたんですよ。
中々思う様に作れなかったそうで、娘に作り方を聞いていた。
これが確かすえちゃんじゃなかったかと思う。

結婚前は嗜みとして琴や三味線を習っていたそうですが、イギリスに滞在している山路が洋楽を好きと知って、琴も三味線も燃やしてしまったり。
子供がどうしてと理由を質した時の答えが、
「パパと同じ趣味を持ちたい、同じ心になりたいと思ったのよ」
ですよ。

家に帰ったらこんな奥さんが子供と待ってるんやで…
帰るのが楽しみだったんじゃないかと思いますわ。

著者のお名前、鎮子さんですが、祖父山本権兵衛の命名だそうです。
桜が満開の時期に生まれたから桜子でどうだろうとお伺いを立てたら、
「桜はパッと咲いてパッと散るからやめよう」
鎮海要港部で生まれたから「鎮」の一字を取っての命名だった。

山本権兵衛の家も近いのですよ。芝高輪でエラい近いのよ。
山本は時には総領孫の満喜子を連れて朝は散歩をしていたのですが、その散歩コースにこの娘ちゃんたちの家がある訳ですよ。
タイガーが毎朝やって来る。笑
娘はいいけど婿の立場だと辛かろう。笑
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サイト更新 上村彦之丞と山本権兵衛(完)

■近代 【 火焔燃ゆ 6-7/完 】

6話と7話で、今回でこの連載は終了。

「バトン」の改訂になりますが、かなり書き加えております。
昨年書いた時は西郷隆盛→上村彦之丞→東郷吉太郎止まりでしたが、実はもうひとりおりましてね。
ほんのさわりのみの紹介ですが、そちらはサイトでご覧いただければ。
何年か前にテレビでも紹介されていた話なので、ご存知の方も多いかと思います。


上村彦之丞と山本権兵衛がテーマということで、今回は山本関連の方で書簡などは残っていないのかといくらか探したのですが、ちょっと見つからず…
上村の方が思いの外資料がないのですよ。近しい人の回顧ばかりでなあ。

あと日露戦争時の上村艦隊への罵倒ってどこから出ていたんだろうと思い、調べてみたのだけれど。
罵倒されていたのは確かなのですが、一般庶民の他ではどの筋が罵倒していたのかというのがよく分からない。

サイトでも書いたのですが、議会で
「濃霧は逆さに読めば無能だ」
と言われたとよく言われますが、よくよく調べると上村艦隊がウラジオ艦隊を探して走り回っている時、議会は開催されていないのですよ
何処から出てきたんやその話(笑)
誰やー!上村艦隊を無能呼ばわりしたんー!

まあそんな話も絡めつつ。
今回は自分が忘れないように参考文献リストもつけておきました。
あそこに入れていないタイトルも含めると30を超える(のですが、出来上がったのがこれか…と思わんでもない)。

それはとにかく、私は大好きな上村さまとごんべさんの話が書けて幸せでした。笑
大変しんどかったけど…

お時間がありましたらご覧いただければ幸いです。
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サイト更新 上村彦之丞と山本権兵衛(2)

サイト更新のおしらせです。

■近代 【 火焔燃ゆ 4-5 】

今回は4話と5話になります。
題して山本権兵衛編。笑
とはいえ半分ほどは上村彦之丞との話になります。

4話の題「炯眼にして豪胆」は、山本に贈られた誄詞より拝借しました。
山本権兵衛その人が同僚や後輩といった周囲からどう見られていたかについて触れています。

兵学寮時代の後輩にあたる沢鑑之丞が、「人望があったが敵も多かった」と言っていて、これが山本を言い当てているような気がします。
沢さんの言葉聞いても「でしょうね」という以外の感想が浮かばない。笑

上村と同じく若いころから知っていて、しかも薩摩出身の柴山矢八が、
「山本権兵衛が大嫌い」
と自ら公言していたのがいい例です。
「権兵衛が種蒔きゃカラスがほじくる」のズンベラ節を一部捩って「権兵衛が種蒔きゃ矢八がほじくる」と言われる程。
好かれる人にはめっちゃ好かれるが、嫌われる人には滅茶苦茶嫌われる。
両極に分かれるタイプ。

見ていて思うのは、軍人連中と文官連中が見て感じる山本権兵衛の印象ってちょっと違うのですよ。
文官から見ると山本はハラハラする位無遠慮で横暴である。笑

あと日露戦争の際の各司令長官の人選の話などにも触れています。
本当に「炯眼」と言われた意味が分かるわ…

これを見ても(今まで何度か書いたけど)広瀬武夫のロシア留学が財部彪の縁談絡みで見込まれたからっちゅうのは、山本に対しても広瀬に対しても失礼な話だと思うわ。
そもそも従来言われていた財部縁談について広瀬が山本邸を訪れて破談を申し込んだという話自体がなかったのですから!(これも去年書いた)

とまれ、今回は久々にサイト初出、そして結構文章量があるので、読みごたえはあると思います。
加えて山本が笑っている珍しい写真も出ておりますので、それだけでもどうぞ。笑

続きは来週更新します。次で最後。


続きに拍手お返事があります。

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サイト更新 上村彦之丞と山本権兵衛

現在クロームで歴史ページが文字化け中です。
対処しておりますので、IE若しくはfirefoxでご覧ください。(こちらは問題なし
すいません…
何でだ…orz
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上記解消いたしました。
エンコードを書き直して再アップしたら直った。
駄目だった理由も直った理由もよく分からない…(え
*********

サイト更新のお知らせでっす。

■近代 【 火焔燃ゆ 】

5月を丸々費やした感がある(感ではなく事実である)上村彦之丞の話です。
来る日も来る日も上村と山本権兵衛の事を考え続けていました。
疲れました。
そして広瀬の誕生日を逸しました。(こんなつもりじゃなかった…

201410272.jpg

そうね、昨日も私仕事でしてん…


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仕方ないと言っちゃ仕方ないんですが、今年も広瀬神社の大例祭は欠席でした。
こういう時に限って抜けられないのである。
やるせないわ…
腹立つのでお誕生日と思って昨日パフェ食べて帰ってきた。
広瀬武夫さんお誕生日おめでとうございました…うう…
大好き…


さてサイトの更新ですが、昨年ブログで書いたものの改訂版です。
上村の事を書くなら山本の事もと思い、山本のボリュームを少し増やそう…
と思ったのですけど、少しどころじゃなくなった。
半分ほど山本の話や、これ。笑

訂正及び加筆で内容はかなり変わっておりますので、新鮮な気持ちで読んで頂けると思います(ものは言いよう。笑)
宜しければどうぞ。
結構読み応えのある文量になっていると思います。

そして前回載せた


20170521.jpg 


この写真も名前入りで載せていますので、気になる方はご確認ください。笑
瓜生外吉がね、手前の偉そうな人を「総大将」って言っているのだけど、本当に総大将然としてるわ~
最初見た時、”らしくて”笑った。笑

全7話の2ページ、今回はひとまず1ページ目(1~3)をお送りします。
続きはまた来週あたりにでも。

お時間がありましたらお立ち寄り頂ければ幸いです。
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