Para Bellum

Si vis pacem, para bellum

親族の輪

山本五十六と堀悌吉の話(どちらかと言うと堀の話)をもう少し書きたいのですが、その前に違う話。
話と言うほどのネタではないのだけれど。

系図繋がりと言うことで。


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調べていたらこういう本が引っかかったので『海軍王国の誕生』と一緒に借りた。
結構面白かった。
系図しか見てないけどな!(笑)


幾らか「え?」と思うような人の名前も見たわけです…


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松方正義の家を中心とした閨閥図で見つけた谷村愛之助の名前。

谷村愛之助と言われても、多分殆どの方が誰それという位の認識しかないと思う。
薩摩生まれの海軍士官。15期である(そこか)
ハンモックナンバーは15期80人中の80番!中々ないよ!(笑)

明治24・5年の遠洋航海(加藤寛治・安保清種ら18期)の時に比叡に分隊士として乗組んでいます。
はい。
広瀬武夫も同艦に分隊士として乗組んでいまして、まさしく同期の同僚。
この遠洋航海に関し広瀬は『航南私記』という記録を残していますが、その中に名前が出てきます。

メルボルンに着いた際、広瀬は谷村と千坂智次郎ら数人と上陸して室内射的銃を買ったり、氷菓子を食べたりしている。
氷菓子はアイスクリームのことかと思われます。
千坂智次郎は14期、山形米沢の人。
米沢藩家老の次男で、先日「名士」で名前が出てきましたが、上泉徳弥がこの方の叔父宅に下宿していました。

谷村は明治33年に亡くなっていまして、理由はよく分からないのですが公務死だと思われます。
海軍葬が行われている。

谷村愛之助って、幕末、薩摩に同姓同名の方いますよね。(明治初年に死去)
お殿様の小姓だったり、側近だったり。何か関係あるのかしら…
というか私が勝手に海軍さんだと思いこんでるだけで、同姓同名の別人だったら笑う。


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松方乙彦は松方正義の何番目か(正確な所が分からんw)の男児で、山本権兵衛の娘を妻にしています。
ということで義兄弟には財部彪(15期)、上村従義(30期、上村彦之丞養嗣子、西郷従道実子)、山路一善(17期)がいます。
本当は留学先のアメリカでフランクリン・ルーズベルトの従姉妹と結婚の約束をしていたのだけれど、周りに大反対され叶いませんでした。


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そしてもうひとり。
写し方がへたくそでごめーん。
左端に清河純一がいるよ!


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清河の娘ちゃんが岩崎弥太郎の孫に嫁いでる。

ということは、清河、広瀬武夫とは遠い親戚になるのねー
右端に加藤高明(岩崎弥太郎の長女が妻)が見えていますが、広瀬武夫の兄勝比古の妻が加藤の従妹になります。

広瀬の戦死後、日本で海軍葬が行われた際、勅使が差遣わされています。
それを総代として受けたのが加藤高明。
加藤は当時既に外務大臣経験者(伊藤博文内閣)でして、親族代表としてはこれ以上の人はいなかったでしょう。
ついでに岩崎の娘のひとりは幣原喜重郎に嫁いでいまして、加藤と幣原は義兄弟になる。

広瀬武夫の兄の娘婿が広瀬末人で、海兵39期。
同期の大親友に山縣正郷がいますが、末人の弟の妻が山縣の姉妹。
更に広瀬末人の長兄に阿南惟幾(最後の陸軍大臣)の姉が後妻として嫁いでおり、近い付き合いをしていたそうです。
阿南は豊後竹田出身、広瀬勝比古・武夫と同郷なんですな。
そういう関係もあってか、竹田の広瀬神社に顕彰碑があります。


山縣正郷、大西瀧治郎(40期。広瀬武夫に憧れ海軍入り)と仲が良かったそうで、その流れから山本五十六、堀悌吉と雀卓を囲んだり、ポーカーやブリッジをして遊ぶ仲間だったそうです。
ゲームに熱中しすぎてかどうか、山縣が膀胱炎に罹った時、山本が見舞いに来て
「自分が膀胱炎に罹った時堀がしてくれたことと同じことをしてやる」
と言って同じようにしてくれたという文書(史料)が残っていると防研の調査官の人が教えてくれた。笑



あと系図の写真撮り忘れた。

随分前にあげたことのある写真です。
児玉源太郎一族の集合写真…


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に親族みたいな顔で寺内正毅が写ってるって書いたんですが、児玉の息子(秀雄)と寺内の娘が結婚してた。
みたいなじゃなくて、親族です…
超失礼。

見ててびっくりしたんだけど、親戚の輪に木戸孝允、山本英輔(権兵衛甥)、阿部信行、広田弘毅、原田熊雄、井上準之助、渋沢栄一がいる。
その上小松輝久(37期。元皇族、臣籍降下)までいる。
阿部信行がいるってことは井上成美(37期。阿倍の義弟)もその輪に入るってことだぜ…!

ビビるわー


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寺内正毅の書簡発見!860点!

寺内元首相の資料860点発見 乃木大将からの私信など  
(ソース:共同通信 2014/1/16)  

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乃木希典…!
話題にすると向こうから話題がやって来る人だ…(笑)
大磯の寺内家から書簡類が見つかったとのこと。その数約860点!
860点!
うわあ…
近代では2010年に岩倉具視関係文書が1700点ほどばばーんと出てきていましたが、これはそれに次ぐなあ…
上記ニュースを見ると、名前が出ているのが伊藤博文、森鴎外、桂太郎、乃木希典。
バリバリ長州閥の人だけに長州出身者が多そうだけど、これだけのニュースでは判断がつきませんな。
他にどういった情報が流れているのかググってみたのですが、どこの新聞社も共同通信が配信している記事をそのまま出していたので、詳細は待て後日という感じなんでしょうか。

常識的に考えて、陸軍関係者の名前はものすっごく上がると思います。
山縣有朋とか山縣有朋とか山縣有朋とか。笑。
児玉源太郎のも多いだろうし、原敬もあるだろうなー
秋山好古とか井口省吾とか、あの辺りの名前も結構出てくると思う。
ただ寺内に関しては山本四郎さん編纂の『寺内正毅関係文書』(首相以前)があって、そこに出ている史料とかも含まれるんだろうか。
どのぐらいの資料が新発見なんだろう。
記事では乃木希典の名前が出ていますが、なんでも乃木大将が自害する直前に和歌を認めて寺内に贈っていたとのこと。
ニュースに出ていた写真はその和歌でした。

今回発見の史料は山口県立大学に寄贈されるそうです。
ちょっと調べてみたんですが、寺内正毅・寿一の父子2代で私設文庫ができる程の書物を蔵したようで、現在それを管理しているのが山口県立大。
同大のHPによると近世以来の寺内家の蔵書、正毅個人の蔵書および収集図書・資料・受贈図書などの和漢書、洋書、文書があるとのこと。
資料点数は約2万(!)。
それを思うと一番良さ気な所に移るのかな?
大学なら散逸しないだろうし…
どんなものがあるのかと思うけど、目録作るだけでも結構大変そう^^;


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寺内正毅は原敬の1代前の総理大臣になります。
大正7(1918)年の米騒動で内閣交代したのね。
長州閥、バリバリの山縣閥で、山縣閥と言えば桂太郎と寺内正毅。
山縣が後継者視していたのは桂ですが、桂は明治後期~大正初期に山縣と袂を分かちます。
政権運営の必要から桂自身が政党を作ろうとしたのが原因で、政党を敵視する山縣はこれに激怒した。
ちなみに桂が組織しようとした政党は立憲同志会となり、民政党の前々身になります。

同志会は桂の死後に立ち上がった政党ですが、この時の同党のトップに立ったのが加藤高明です。
加藤は元々政友会寄りの政治家でしたが、桂とも加藤とも仲の良かった山本権兵衛が「ちょっと手伝ってやってよ」と両者を仲介。
そうしたら紹介した山本が驚くほど桂と加藤は意気投合してしまった。
そういう話がある。

桂の死後は寺内正毅が後継者的な位置に立つ訳ですが、まあ…
この方は一介の武弁ってやつですな。長いこと陸相も務めていますが、そんな感じ。
えー、おいおい…というような話も随分…うん。随分ありますが、個人としては生真面目ないい人だったらしい。…らしい…


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内閣が成立した際につけられた内閣のあだ名?は「ビリケン内閣」。
寺内の顔かたちがビリケンさん(通天閣のあいつ)に似ていたからで、「非立憲」にもかけている。誰うま。
ついでに言えば加藤友三郎内閣は「残燭内閣」、米内光政内閣は「こめない内閣」と呼ばれた。
こっちは中々手酷い。

山口市のお土産に「銘菓舌鼓」というお菓子がありますが、寺内がちょっと関係しています。

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写真横になっててごめん…^^;
元々『舌鼓』だったけれど、食べた寺内があまりのおいしさに「銘菓にしたらいいのに」と言った所名前が『銘菓舌鼓』になった。
これ、山口市でしか買えなかったんだよなー
新幹線でも買えたらしいんだけど、今はどうなんだろう。
おいしくて、家へのお土産用と自分用を購入。毎日旅館で食べてた。笑。

***

立寄ったセブンイレブンで巻き寿司の試食を渡されてびっくりしました。
お金払う時にレジでお寿司と割り箸を渡された。ここで食べるの?今ここで?^^;
クリスマス前にはケーキの試食も渡されたんですが、なんか最近のコンビニ色々とすごいよね…
クリスマスケーキとかお節の予約どうですかーって近所の家を一軒一軒店員さんが回っててちょっとびっくりしました。
でもクリスマスのケーキはケーキ屋で買いたい。
お節もお寿司も家で作るし。

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