Para Bellum

Si vis pacem, para bellum

薩南の風(2)

こちらの続き。

赤松小三郎暗殺の犯人がなぜ分かっているかと言いますと、桐野利秋本人が日記に書き残しているから。


桐野利秋


桐野の日記はかなり断片的に残っていて、その中の一条にこの暗殺事件が記されている。
よくこんなの残っていたなというレベル。
自分の暗殺場面を事細かく書き残している人も中々いないと思われるので、そういう意味でも珍しかろう。
この桐野の日記ですが、2004年にPHPから『桐野利秋日記』として現代訳版が発行されています。

読んでいるとあんな人やこんな人、本当に多くの有名人が出て驚きます。
赤松小三郎暗殺事件が幕末の微妙な時期に起こったことは以前書きました。
(暗殺事件KO3年9月、大政奉還10月・王政復古の大号令12月)
この間、11月15日に坂本龍馬と中岡慎太郎が遭難していますが、そのことについても日記には記述がある。
新選組の仕業であると思っていた様です。

坂本と中岡は11月18日(中岡が亡くなった翌日)に霊山に葬られていますが、中村は彼らのお墓参りに行き(その帰りは龍馬の甥高松太郎(坂本直)、龍馬の姪の夫と同道している)、その日は最終的に大久保一蔵宅に行って泊まっている。


大久保利通住居跡@京都 (御所のすぐ傍)


この日記を読んで意外だったのはここ。
何となく大久保と桐野はウマが合わなさそうなイメージがあるから、あ、そうなんだ…と言う感じだった。

で、そうして大久保宅に泊まった次の日、やってきたのが新選組の分派、高台寺党の生き残り。
油小路事件で伊東甲子太郎が暗殺されたのが同日の11月18日。
こう見ると大きな事件が密に起こってる時期ですね…

高台寺党の生き残りが頼ったのが薩摩藩で、彼等はとりあえず石薬師の大久保宅を叩き、その時に応対に出たのが中村という。
ついでに彼等を薩摩伏見藩邸にまで送って行ったのも中村という。
結構色んな所で大きな事件に関わってますな。


小説や一般書から得るイメージと、調べた上で得るイメージと、この人ほどギャップのある人も珍しいなと個人的には思っている。
西南戦争は桐野が起こした戦争だとか、桐野の戦争だった、なんてもよく言われますが、うん。
桐野に責任がないとは、幾ら桐野が好きな私でも流石に思わんけど、薩軍には他にも幹部はいるだろうが。
篠原国幹だってそうだし、村田新八だってそうでしょう。

あれだけの”人物”が揃っていて、しかも推戴しているのは西郷隆盛で。
それでも戦争になったのに、戦争責任の全てが何故桐野にあるというのか。
それに挑発をした政府側にだって戦争惹起の要因はある筈だし。
西郷隆盛を守るために非難が桐野に向かう(向かっていた)傾向はかなりあると思う。

…というか、私はこういうことを書きたかったのではなく!


桐野利秋 


阪急電車の駅構内に(先々週位まで)貼られていたこのポスターですよ。
いや、貼られていたのは上写真ではなかったのですが、黒色肋骨式…
雰囲気から見てどー見ても維新期ですよねこれっちゅう。
宝塚に興味ないのでそのまま放置してたのですが、駅にある無料情報誌(紅茶特集)を見てたら案内が載ってたわ。
主役がまさかの桐野やったわ…
お、おう…

なんというか、うん、こういう服は胸板がないと合わないんだなと…(そこか
というか桐野には鹿児島に奥さんがおるんだが…
どう見ても左のお方は奥様ではありませんね…

ぐだぐだ話つづく。
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