Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

戦利品

松山における戦利品。


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図録と小冊子と古本。あと自分用のお菓子いくつか。しょぼい。
旅先で寄ったらあかんスポットの上位に入るのが古本屋なのですが、入ってしまったわ。
今回は時間もあったし。
そして加藤拓川の伝記見付けた。わーい。

加藤は明治大正期の外交官。
秋山好古とは同郷同年代の親友で晩年にいたるまで家族ぐるみでの付き合いがあった。


原敬、加藤拓川、陸羯南


司法学校では賄い征伐で原敬、陸羯南らと共に退学になっています。
加藤が外交官になったのは原敬の斡旋があったため。
で、その後甥っ子正岡子規を東京に呼ぶわけですが、上京した子規は後に陸羯南の日本新聞社に入社し、更に後年原敬の自慢の甥っ子・原達(抱琴)を弟子にするという。
不思議な縁ですな。

帰って来てから知ったのだけれど、加藤のお墓も松山にあるそうです。
そういや市長在任中に亡くなってたな。
やや郊外だったのでどのみち今回は参拝の時間はなかったかなという感じですが、次に松山に行く時は行きたいな。

というかさ、この伝記ペラペラ捲っていて気付いたのだけれど加藤夙川に住んどったんや…
えーそうなの…
大阪新報の社長になったり北浜銀行の非常勤取締役になったりしとるしなあ。
この辺りは原敬に推薦されたと思われます。
原も大阪で大阪毎日新聞の社長をしていたり、北浜銀行の頭取もしている。
北浜銀行の方はもろに原敬との繋がりだろう。

そして昭和40年代には秋山好古の次男が仁川に住んでいたことを今回坂の上の雲ミュージアムの展示で知りました。うそん。
夙川も仁川も自宅からランニングで行ける距離である。
仁川の方は住所の番地まで出ていて、昔のこととはいえちょっといいのかコレっちゅう。

私は寧ろ加藤が夙川のどのあたりに住んでいたのかが知りたいわ…
苦楽園か香櫨園かの辺りじゃないかと思うけど。
香櫨園の方かなあ…
香櫨園附近には日露戦争時の第4軍参謀長であった上原勇作の別荘があったのですよ。
詳しい番地は分からんが昔の地図見たら分かりそう。
地元に何か史料残ってないんか…
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