Para Bellum

Si vis pacem, para bellum

サイト更新 広瀬武夫人物関連数珠繋ぎ

 わが愛する広瀬武夫のご命日です。
何か書こうかと思ったりもしましたが、取り立てて書くことっちゅうてもねえ…
折に触れて書いているつもりでいるので、特別今日だからという感じでもない(ファン失格か

まあ…
何かするにしても何の準備もしていませんので、ここ数年やるやる詐欺で終わらせていた「数珠を繋ぐ」を完結させます。
とりあえずあと1話書いたら終わる筈(筈って


要するに広瀬武夫関係の人物等を数珠繋ぎで挙げている話なのですが、こんな感じです。

内田良平(柔道)→末永節(扶桑)→国木田独歩→押川春浪→
川上俊彦・常盤(汁粉)→生方敏郎→広瀬中佐銅像→辰野隆→
上泉徳弥→財部彪田中義一→江頭安太郎・安保清種→三宅雪嶺→広瀬武夫
      ↑今ここ

ということで約1年ぶりに更新するこの話、今回は第10話財部彪から田中義一へ。
ブログだけでは飽き足らずサイトの更新でも財部彪か。笑(タイムリーだっただけです…

とは言え今回は財部彪というよりほぼ児玉源太郎の話になります。
田村怡与造の急逝後、児玉が参謀本部次長職を襲いますが、その時の財部彪の感想がすごい。
それは今回更新分をご覧くださいw
史料初見時思わず2度見したわ。
話の行き掛り上「第9話:上泉徳弥から財部彪へ」(の下の方)をご覧頂いた方が10話に入りやすいかと思います。

大体において児玉源太郎は神様のような扱い方だなあと思うのですが、まあ、実際には色々あったのでしょうね。
今回引用した『今村均回顧録』は名将今村の名前もあって結構有名だと思う。
そういうこともあり、結構知られている内容かと思うのだけれど、一般書関連では割とスルーされているというか。
書かれてること、だいぶ違うやん…(という感想


取敢えずはサイトの更新案内のみにて。
余力があったらまた出てきます。笑
そして10話以降はリンクが貼ってあってもまだ繋がっていませんのであしからず。


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児玉源太郎 史料発見 約400点

珍しく乃木希典以外。
児玉源太郎の史料、しかも手帳や書類を含む約400点という大発見。
そういや丁度1年ほど前にも寺内正毅の資料860点が発見されていました。
長州づいてますな。
そして寺内の方にも乃木希典の資料があったなあ…

リンクはこちらから。

毎日新聞(2015/1/28) : 児玉源太郎:日露講和は「失敗」と断言 一級史料を発見


http://blog-imgs-72.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2015128_2.jpg


興味のある方は記事が消える前に早めにどうぞ。
今の所毎日新聞にしか掲載されていないですねえ。明日辺り他紙でも出るかな?

見つかったのは児玉の旧宅だそうです。
児玉秀雄の調査過程で発見されたとのことで、これは思わぬ大収穫だっただろう。

児玉源太郎の長男秀雄は官僚でして昭和10年代の政治史に触れたら名前が出てきますので、ご存知の方も多いかと。
一般的には知名度はそんなには高くないと思いますが、あれこれの内閣の閣僚を歴任している人物です。
まあそういう関係での調査だったのだと思う。

約400点のうち180点は近々『児玉源太郎関係文書』として発行されるとあるのだけど、………

>児玉源太郎関係文書
>児玉源太郎関係文書
>児玉源太郎関係文書

なんだよ関係文書じゃねえか。(暴言)

同郷の伊藤博文、山縣有朋、乃木希典といった人物らの書簡も多く含まれるそうです。
史料は日露戦争関連が多いそうですが児玉は陸相のみならず内相・文相、台湾総督もしていますので、400点も新出史料があるなら色々と新発見や訂正事項があるのじゃないかなあ。


また新聞には、


日露が勢力争いをした旧満州(現中国東北部)の戦後構想をうかがわせる記述がある。
現地の主要都市ハルビンに触れて、「万国共存の商業地」として国際的に 開かれた都市を目指したことも判明した。
昭和に入り、かいらい国家「満州国」を日本が建国するなど独占しようとした経過を考えると興味深い。


とあるのだけど。
ふーん。そうなんだ。この辺りは私ちょっと興味があるぞ。
というのも日露戦争後に及んでも陸軍は満州に軍政を敷いていて、その理由は簡単で大陸での既得権益の確保です。
これがかなり大きな問題になっていた。

そりゃそうですよ。
満州は清国(の領土)であって日本の占領地でも属地でも何でもないんです。
にも関わらず陸軍は戦後1・2年経っても現地の当局を無視して勝手に軍政を敷いている。

はっきり言うとこれは国際問題です。
対清国ということもありますが、アメリカだってイギリスだって日本を支援した理由のひとつは満州の門戸開放だったのに、軍政が敷かれているから自由に出入りできない。
締め出されている状態だった。
日露戦争後、日本とアメリカの関係はおかしくなっていきますがその原因はこの満州問題になります。
おかしくなっていく国際関係を、伊藤博文や井上馨といった元老らが酷く憂慮した。

というか、陸軍以外は陸軍を非難しとるわけで。
陸軍は山縣有朋からも非難されとるわけで。

この事を巡っては陸軍は非難を囂々に浴びていまして、その当時の責任者が児玉源太郎になります。参謀総長。
どう非難されても児玉は言を左右して軍政を続けたいとするので、終いには伊藤博文が満座の前で児玉を非難した。
曰く、満州は清国であって日本の属地でも何でもない。陸軍は何か勘違いしとるのではないか云々。

そういうことがあるのでね、ハルピンを「万国共存の商業地」として国際的に 開かれた都市に、ねえ…という感じがするのだよ明智君。(誰や)
もしかしたらその過程での軍政だったのかもしれないけれど、その辺りはどうなんだろう。
というかこの記事を書いた記者、その行きがかりを知って書いて…はないよなあ…
何とも言えない。

『坂の上の雲』の印象から児玉はほぼプラスのイメージ、スーパーマンか神様かなにかのようなイメージを持つ方が多いと思うのですが、それは実像とは大分違う所があるのじゃないかと私は思ってる。
まあ、良い所ばっかりじゃないよね。


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【S】児玉源太郎 史料発見 約400点

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親族の輪

山本五十六と堀悌吉の話(どちらかと言うと堀の話)をもう少し書きたいのですが、その前に違う話。
話と言うほどのネタではないのだけれど。

系図繋がりと言うことで。


//blog-imgs-63-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014_08100017.jpg


調べていたらこういう本が引っかかったので『海軍王国の誕生』と一緒に借りた。
結構面白かった。
系図しか見てないけどな!(笑)


幾らか「え?」と思うような人の名前も見たわけです…


//blog-imgs-63-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014_08100018.jpg


松方正義の家を中心とした閨閥図で見つけた谷村愛之助の名前。

谷村愛之助と言われても、多分殆どの方が誰それという位の認識しかないと思う。
薩摩生まれの海軍士官。15期である(そこか)
ハンモックナンバーは15期80人中の80番!中々ないよ!(笑)

明治24・5年の遠洋航海(加藤寛治・安保清種ら18期)の時に比叡に分隊士として乗組んでいます。
はい。
広瀬武夫も同艦に分隊士として乗組んでいまして、まさしく同期の同僚。
この遠洋航海に関し広瀬は『航南私記』という記録を残していますが、その中に名前が出てきます。

メルボルンに着いた際、広瀬は谷村と千坂智次郎ら数人と上陸して室内射的銃を買ったり、氷菓子を食べたりしている。
氷菓子はアイスクリームのことかと思われます。
千坂智次郎は14期、山形米沢の人。
米沢藩家老の次男で、先日「名士」で名前が出てきましたが、上泉徳弥がこの方の叔父宅に下宿していました。

谷村は明治33年に亡くなっていまして、理由はよく分からないのですが公務死だと思われます。
海軍葬が行われている。

谷村愛之助って、幕末、薩摩に同姓同名の方いますよね。(明治初年に死去)
お殿様の小姓だったり、側近だったり。何か関係あるのかしら…
というか私が勝手に海軍さんだと思いこんでるだけで、同姓同名の別人だったら笑う。


//blog-imgs-63-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014_08100018.jpg


松方乙彦は松方正義の何番目か(正確な所が分からんw)の男児で、山本権兵衛の娘を妻にしています。
ということで義兄弟には財部彪(15期)、上村従義(30期、上村彦之丞養嗣子、西郷従道実子)、山路一善(17期)がいます。
本当は留学先のアメリカでフランクリン・ルーズベルトの従姉妹と結婚の約束をしていたのだけれど、周りに大反対され叶いませんでした。


//blog-imgs-63-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014_08100019.jpg


そしてもうひとり。
写し方がへたくそでごめーん。
左端に清河純一がいるよ!


//blog-imgs-49-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/rengoukantai.jpg


清河の娘ちゃんが岩崎弥太郎の孫に嫁いでる。

ということは、清河、広瀬武夫とは遠い親戚になるのねー
右端に加藤高明(岩崎弥太郎の長女が妻)が見えていますが、広瀬武夫の兄勝比古の妻が加藤の従妹になります。

広瀬の戦死後、日本で海軍葬が行われた際、勅使が差遣わされています。
それを総代として受けたのが加藤高明。
加藤は当時既に外務大臣経験者(伊藤博文内閣)でして、親族代表としてはこれ以上の人はいなかったでしょう。
ついでに岩崎の娘のひとりは幣原喜重郎に嫁いでいまして、加藤と幣原は義兄弟になる。

広瀬武夫の兄の娘婿が広瀬末人で、海兵39期。
同期の大親友に山縣正郷がいますが、末人の弟の妻が山縣の姉妹。
更に広瀬末人の長兄に阿南惟幾(最後の陸軍大臣)の姉が後妻として嫁いでおり、近い付き合いをしていたそうです。
阿南は豊後竹田出身、広瀬勝比古・武夫と同郷なんですな。
そういう関係もあってか、竹田の広瀬神社に顕彰碑があります。


山縣正郷、大西瀧治郎(40期。広瀬武夫に憧れ海軍入り)と仲が良かったそうで、その流れから山本五十六、堀悌吉と雀卓を囲んだり、ポーカーやブリッジをして遊ぶ仲間だったそうです。
ゲームに熱中しすぎてかどうか、山縣が膀胱炎に罹った時、山本が見舞いに来て
「自分が膀胱炎に罹った時堀がしてくれたことと同じことをしてやる」
と言って同じようにしてくれたという文書(史料)が残っていると防研の調査官の人が教えてくれた。笑



あと系図の写真撮り忘れた。

随分前にあげたことのある写真です。
児玉源太郎一族の集合写真…


//blog-imgs-59-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/20140117_5.jpg


に親族みたいな顔で寺内正毅が写ってるって書いたんですが、児玉の息子(秀雄)と寺内の娘が結婚してた。
みたいなじゃなくて、親族です…
超失礼。

見ててびっくりしたんだけど、親戚の輪に木戸孝允、山本英輔(権兵衛甥)、阿部信行、広田弘毅、原田熊雄、井上準之助、渋沢栄一がいる。
その上小松輝久(37期。元皇族、臣籍降下)までいる。
阿部信行がいるってことは井上成美(37期。阿倍の義弟)もその輪に入るってことだぜ…!

ビビるわー


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