Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

パラべラム ~ 堀悌吉(2)

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この話は19回シリーズです。
サイトに纏めて移行済み。そちらの方が読みやすい。
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続き。

堀悌吉、山本五十六(当時高野姓)ら32期は、明治37(1904)年11月に海軍兵学校を卒業します。
日露戦争の真っ最中で練習船に乗った後すぐに少尉候補生として各艦に配乗された。
遠洋航海中止のお知らせである…orz(※1期上も出発直前でなくなった)

それが明治38(1905)年1月。

堀悌吉は旗艦三笠に、山本五十六は日進に乗り組んでいます。
流石にクラスヘッド(首席)は一番良い所に配属されている。
三笠に配乗されたのは11名。


//blog-imgs-49-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2013_12090162.jpg 三笠


伝記を見ていると驚くけれど、日本海海戦のほぼ直前とも言っていい頃、5月初旬に少尉候補生の試験が行われている。
艦長が監督なので、座乗している連合艦隊首脳部(東郷平八郎、加藤友三郎参謀長、秋山真之先任参謀等)はノータッチだったと思われます。
バルチック艦隊が対馬に来るか宗谷に来るかとか、そういう話で参謀連の頭が沸騰していた頃だったようで、ぶっちゃけそれどころじゃない^^;

ちなみに当時の三笠の艦長は伊地知彦次郎です。
32期は遠洋航海もなく、経験値がほぼゼロの状態でいきなり実戦に放り込まれた。
実地の教育も訓練もなく、更にフネにも乗り馴れてないので、


蟻の塔のような艦内を巡回見学中、右舷やら左舷やらがわからなくなったり、
前甲板のつもりで上甲板に出て見ると、何とそこが後甲板であったり、
甚だしきに至っては下甲板以下でとうとう迷子になってしまって、所在の兵に道を聞き聞き、
やっと自分どもの公室へたどり着いてホッとしたというウソのような失策もあった。

それにまだ乗り馴れぬ悲しさには、ろくな波でもないのに意気地もなくよっぱらって仕事に差し支えたり、
万事がこんなザマでは戦時のお役に立つどころか、時には上官から艦内の邪魔物のようにもこきおろされて、
泣きたくなることさえあった。



こういうことになる訳である…
(『追悼山本五十六』より海兵31期市川恵治の言。日本海海戦時日進乗組)

船酔いは体質もあるからなあ。
遠洋航海で1ヶ月程すれば慣れてマシになるらしいけど。

とにかく教育を受ける機会がないことを伊地知は気の毒に思ったのかどうなのか、そういう点での配慮はしていたようです。
こういう大事な時期に試験をするのは少尉候補生の教育を大事に思っているからだ、とそう述べられたそうで。

『小柳資料』の、確か草鹿任一だったと記憶していますが、練習艦隊の司令官が伊地知で、後々まで「オイ(俺)の候補生」といって可愛がってくれたとありました。
繋がるような話ではないかもしれないけれど、伊地知は若い人を大事にする人だったのかな~とは思う。


日本海海戦で堀悌吉も山本五十六も一生に残る体験をします。
山本は日進で左手の中指と人差し指の亡失、右下肢の損傷という重傷を負った。
一方の堀は三笠艦上で我軍の砲撃により沈みゆくロシア艦とその乗組員らを見、戦争の実際、戦争の悲惨を目の当たりにして、大きな煩悶を抱えることになる。

親友の山本は廃兵すれすれの重傷を負い、自分が乗り組んでいた三笠は帰国後佐世保で爆沈。
300名を超える死者を出し、しかもその中には同期である玉木信介も含まれていました。
爆沈は直接戦争どうこうじゃないけれど、秋山真之じゃなくても、色々な思いはあったのだと思う。


//blog-imgs-63-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014_07260322.jpg
(右後方の白服が玉木候補生。伝令)



日露戦争後、堀はアメリカで開催された万国陸海軍祝典に参列するため派遣された筑波に乗り組んでいます。(明治39年)
スエズ運河を通って地中海を横断、ジブラルタル海峡を通って大西洋を横断する航路を取っていたため、往復路で欧米・アフリカ・アジアの多くの国に立ち寄る機会があった。
堀はそこに住む人々や歴史文化に触れて、日本海海戦時に抱いた煩悶と合わせて思う所があったようで、


軍備は平和の保障であり、ことに海軍は各国が世界の平和を維持するためにこれを備ふるものであらねばならない


これら各国の人々と争うための軍隊であってはならない、という思いを強めたようです。


身を海軍において、国家を外敵より防衛し、国内安泰維持、民族平和的発展及び人文増進に
貢献出来得る様に努力する事を天職として心得て行かうと決心したのである。

(『堀悌吉自伝』、『堀悌吉』(大分県先哲叢書)より引用)


平和の為に海軍軍人として努力する事を天職と思う。



出発点からして目指す所が他の軍人とはかなり違う。
あの難しい時代、苦境に立たされても堀の軸がぶれなかったことに緩やかな感動を覚えます。


続きます。


※パラべラム
ラテン語、古人の言葉。 Si vis pacem, para bellum 
汝平和を欲さば戦に備えよという意味。
「抑止力としての軍」「平和のための軍」という意味を込めて。
というか、ブログ名の意味をこんな所で書くなよっちゅう…
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