Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

ノスタルジア

肌寒いわー…
皆さんのお住まいの所でも同じなのでしょうか。
ジンジャーエール用にジンジャーシロップを作ったのですが、お湯で割って飲む羽目に。笑
新生姜が出ている間にもう一回作ろうと思いつつ、青梅を買う。(あら…
今年はブランデー梅酒を作るでえ。
日曜日に仕込んだのですが、飲めるようになるまでにはまだ時間がかかるなあ。
待つ楽しみもあるのだけれど、出来るだけ早く飲み始めたい。笑

それはさておき、聞いてくれ!

中野直枝の懐旧談を手に入れた!
やったー!


小栗孝三郎、百武三郎、佐藤鉄太郎、井出謙治、中野直枝


これと同じものかな?どうだろう。
こちらは伝記らしいので違うのかな?
流石にこの時よりは自分の中野情報は増えていると思いたいけれど、残念ながら大して変わっていないのである。あーあー…

中野直枝と言ってもすぐにピンと来る方はそんなにいないかと思いますが、海軍兵学校15期です。
海兵15期です(大切なことなので2回言いました)。
広瀬武夫と同期よ!
最終は中将。
中野は日露戦争時の大本営参謀だったということで、今迄何度か名前も出している。

ついでに書けば上掲写真の小栗孝三郎も同期で、こちらは最終が大将です。


日露開戦当時の軍令部(大本営海軍部)は副官を入れて14名なのですが、その内の5人が15期になります。
軍令部長伊東祐亨、次長伊集院五郎(5)、海軍参謀山下源太郎(10)、江頭安太郎(12)、森義太郎(10)、井内金太郎(13)、財部彪(15)、小笠原長生(14)、中野直枝(15)、森越太郎(15)、高木七太郎(15)、田中耕太郎(16)、谷口尚真(19)。
副官江頭安太郎(兼任)、小黒秀夫(15)。

作戦の方で中心になっていたのは山下源太郎と財部彪。
しかし期を見ていると中枢になっているのが、見事に兵学校教育が整い始めた辺りですな…

そしてみんな若いよね。
15期は明治元年前後の生まれが多く、14~17期は大体明治元年ごろを生年と思えば、大体36~8歳辺りです。
明治と共に成長してきた世代が日露戦争の中核になっていた事が分かります。
山下源太郎は41歳、連合艦隊司令長官であった東郷平八郎でさえ56・7歳ですからねえ。

東郷はもっと老人のイメージがありますが^^;
戦場でベストな判断を下すのに、体力のない老人では無理だと思う。
そう思うと停限年齢をどこに設定するかは大事だわな…

ちなみに山下は広瀬武夫の兄勝比古と同期になります。
仲が良かったそうで。一緒に写っている写真もありますね。うふふ。

あと江頭は私が15期の次に好きな12期!(数珠を繋ぐ#11
作家江藤淳の祖父になります(皇太子妃雅子さまの曽祖父でもあります)。
更についでに書くと江藤の叔父の妻が山屋他人(12期)の娘である。

高木七太郎は以前「閻魔」で紹介しました。
後輩共からけちょんけちょんにけなされてて笑った。(こら

田中耕太郎は広瀬のロシア駐在時の同僚です。
一緒に写っている写真があるん。

広瀬武夫、加藤寛治、野元綱明、田中耕太郎


谷口尚真はこのブログに移ってから一発目の連載で触れました(石部金吉金兜)。


長すぎの前置きですが(笑)
あれこれの人が出てきた時は出来るだけ紹介したいのでご容赦くだされ。

で、この中野が広瀬との話を少しですが残してくれていた。
日清戦争の頃、中野と広瀬は横須賀の水雷艇隊勤務だったそうです。
同僚だった。
中野が鈴木貫太郎の後を受けて6号艇長、広瀬が18号艇長だったそうで。

ある時、金沢沖で魚雷発射をした後に揃って横浜に入港した。
そうしたら広瀬が
「今日は俺が奢るからついて来い」
とか言ってさ!

ついて行った先は大きな料亭で、しかもふたりの芸者付き。
どうしたの広瀬。(笑)

中野よりも早く勲六等の賜金を頂いたから奢ってやるということだった模様。
広瀬は普段こういう所に来る男ではないのに、と中野も嬉しかったようです。
私も嬉しい。笑(なんでや

これ、昭和31年の回顧で、中野は当時88歳。
約60年前の事をよく覚えてるなと思って確かめたんですね(史料批判

広瀬は明治28年10月下旬に水雷艇第18号の艇長になっています。
そして同年11月18日に勲六等単光旭日章と金200円(と従軍記章)を下賜されている。
勲六等の賜金とはこのことで、この頃(より正確には明治30年頃)の相場だと大体300万円位かな~…

この話、恐らく明治28年11月下旬の事でしょう。
結構ぴしっと覚えとるな、中野。

中野と広瀬の水雷艇は軍事普及のためによく隅田川を遡上していたそうです。
そんな事までしとったんや…
広瀬の水雷艇、よく品川に出ているのですよ。
品川にそんなに何の用事がと思っていたのですが、もしかしてそういうことだったの?
しかも18号艇は一般汽船とごっつんこして、ドック入りもしている。笑。

この18号艇長の時代の部下に藤井宗恂という人物がおり、この頃の話をいくつか残してくれています。
当時から部下は可愛がっていたようですね。
そして出されたご飯(水兵が作ったの)がおいしかったら褒めちぎってくれるんだぜ…!
ちなみに藤井の長男は広瀬から名前を貰って武夫くんです。笑

部下の話はあるのだけど、この頃の同僚や上司の話は思いの外ないのです。
中野の話、本当にほんのちょっとですが見付けられて嬉しかった。
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