Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

サイト更新 上村彦之丞と山本権兵衛(完)

■近代 【 火焔燃ゆ 6-7/完 】

6話と7話で、今回でこの連載は終了。

「バトン」の改訂になりますが、かなり書き加えております。
昨年書いた時は西郷隆盛→上村彦之丞→東郷吉太郎止まりでしたが、実はもうひとりおりましてね。
ほんのさわりのみの紹介ですが、そちらはサイトでご覧いただければ。
何年か前にテレビでも紹介されていた話なので、ご存知の方も多いかと思います。


上村彦之丞と山本権兵衛がテーマということで、今回は山本関連の方で書簡などは残っていないのかといくらか探したのですが、ちょっと見つからず…
上村の方が思いの外資料がないのですよ。近しい人の回顧ばかりでなあ。

あと日露戦争時の上村艦隊への罵倒ってどこから出ていたんだろうと思い、調べてみたのだけれど。
罵倒されていたのは確かなのですが、一般庶民の他ではどの筋が罵倒していたのかというのがよく分からない。

サイトでも書いたのですが、議会で
「濃霧は逆さに読めば無能だ」
と言われたとよく言われますが、よくよく調べると上村艦隊がウラジオ艦隊を探して走り回っている時、議会は開催されていないのですよ
何処から出てきたんやその話(笑)
誰やー!上村艦隊を無能呼ばわりしたんー!

まあそんな話も絡めつつ。
今回は自分が忘れないように参考文献リストもつけておきました。
あそこに入れていないタイトルも含めると30を超える(のですが、出来上がったのがこれか…と思わんでもない)。

それはとにかく、私は大好きな上村さまとごんべさんの話が書けて幸せでした。笑
大変しんどかったけど…

お時間がありましたらご覧いただければ幸いです。
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サイト更新 上村彦之丞と山本権兵衛

現在クロームで歴史ページが文字化け中です。
対処しておりますので、IE若しくはfirefoxでご覧ください。(こちらは問題なし
すいません…
何でだ…orz
*********
上記解消いたしました。
エンコードを書き直して再アップしたら直った。
駄目だった理由も直った理由もよく分からない…(え
*********

サイト更新のお知らせでっす。

■近代 【 火焔燃ゆ 】

5月を丸々費やした感がある(感ではなく事実である)上村彦之丞の話です。
来る日も来る日も上村と山本権兵衛の事を考え続けていました。
疲れました。
そして広瀬の誕生日を逸しました。(こんなつもりじゃなかった…

201410272.jpg

そうね、昨日も私仕事でしてん…


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仕方ないと言っちゃ仕方ないんですが、今年も広瀬神社の大例祭は欠席でした。
こういう時に限って抜けられないのである。
やるせないわ…
腹立つのでお誕生日と思って昨日パフェ食べて帰ってきた。
広瀬武夫さんお誕生日おめでとうございました…うう…
大好き…


さてサイトの更新ですが、昨年ブログで書いたものの改訂版です。
上村の事を書くなら山本の事もと思い、山本のボリュームを少し増やそう…
と思ったのですけど、少しどころじゃなくなった。
半分ほど山本の話や、これ。笑

訂正及び加筆で内容はかなり変わっておりますので、新鮮な気持ちで読んで頂けると思います(ものは言いよう。笑)
宜しければどうぞ。
結構読み応えのある文量になっていると思います。

そして前回載せた


20170521.jpg 


この写真も名前入りで載せていますので、気になる方はご確認ください。笑
瓜生外吉がね、手前の偉そうな人を「総大将」って言っているのだけど、本当に総大将然としてるわ~
最初見た時、”らしくて”笑った。笑

全7話の2ページ、今回はひとまず1ページ目(1~3)をお送りします。
続きはまた来週あたりにでも。

お時間がありましたらお立ち寄り頂ければ幸いです。
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プリペア

そろそろ財部彪日記を見に行くための準備をしなければならないのだが。
前回見に行く際にかなりの下調べをしたので、何となく気持ちがたる~ん。
何と云ふことでせう。

とはいえ見たいと思うところはあってですね!
特に気になっているのは明治32年の部分。
広瀬武夫がロシア駐在、そこへ朝日回航委員の竹下勇、イギリス駐在員の財部彪がやってくる。





その時の記念写真が上のものですが、前列中心に座っているのが上村彦之丞です(中心…
来露したこの御一行様の面倒を主に見ていたのが広瀬でして、ロシアを発つ時も駅でお見送りをしている。

その時にね、上村がちょいちょいと広瀬を呼んで突然ほっぺたにチューするのですよ!
ほっぺにちゅー!(代わってー!)(こらこら

いやー…
私、この話は長らく島田謹二さんの作り話かと思っていたのですがね、竹下勇がとある席の回想で語っておるのですよ。
見てたんか竹下君。
それならきっと財部君も見てるはず。
それにこの一行と広瀬がどういう話をしていたのかとか、そういうのも財部日記からなら分かるのじゃないかと思う。
広瀬書簡を見ていると、広瀬はこの頃、ちょっと悩み多き時期であった節があるので、そういった話を聞いてないかとも思う。

あと財部の縁談の所かなあ…
ほんっと複写物が薄すぎて辛い。
原本見せてもらえないか聞いてみたいのだけど、ちょっと無理そうだよなあ。
1日、2日分だけなのだけれど。

あーやっぱり準備しとかんといかんわ。笑
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今日の財部日記(2)

 ~前回までのあらすじ~

明治30(1897)年6月末にイギリス留学の辞令を受けた財部彪(31)。
辞令書が所属部署?の旗艦松島の停泊地に届けられていたため、それを取りに横須賀へ。
念願の留学(多分)叶ってほくほくして帰宅した所、思わぬ事態が勃発。


はい。
ということで7月2日に辞令書を松島まで取りに行き、相浦紀道常備艦隊司令長官、上村彦之丞参謀長らとお昼を共にして帰ってきた処で起きた騒動(?)です。


本日留守中有信館ノとみ女ヨリ来状セル由ニテ
妻之ヲ開封シ意外ノ破談ヲ生セントセシモ
妻ノ判断先誤ニ〇リシタメ太シタル事ニ至ラズシテ完結セリ

IMG_1990.jpg


旦那の留守中に女から手紙が来た。


ちょっと読めない所があるのだけど、イネちゃんとりあえず旦那宛(だろう)書簡を開封した。
喧嘩になりかけた(なってるか…)という辺りで書簡がどんな内容だったか、大体の想像がつくわけです。
旅館の女の子に手を付けたか。笑

大したことなく終わったとあるので、なんとか誤魔化したんですね、これ。
誤魔化したというか丸め込んだか。笑

そしてこの話はこれで終わったのかと思いきやそうではなく、
財部は2日後に有信館のオーナーか支配人かに手紙の内容について確認をしに行っている。
そこで心配するようなことはないという「明證ヲ得テ大ニ安神セリ」(4日)。
うむーこれさー…
生理止まってる的なことが書かれていたのでは…^^;

そしてその3日後、上村彦之丞(※仲人)がやって来たよ!やだ怖い!(笑)
財部の「私行上ノコト」(7日)について心配してやって来た。
いやーん!TSU・TSU・NU・KE!
ごめん財部君、私笑いしか出ない!(笑)
そして尋ねてきた上村さんに財部は「思切テ昨年十二月頃ノ失行ノ事抔ヲ打明ケ咄セリ」。

12月頃の失行。

うわー残念だわー私3月分からの日記しか持ってないわー(笑)
…あ、でも12月だったら7月に寄越した書簡で生理止まったはちょっと変か?^^;
上村さんに打ち明けた後この話がどうなったかの記載はないけれど、財部も一連の事について問題はないことを話しただけ、上村もそれを聞いただけで終わったのだと思う。

明治29年の12月頃の出来事なら、まだ結婚の「け」の字も出ていない時期ですよ。
しかも財部君まだ30歳ぐらいの独身。
上村も海軍さんですから海軍士官のチョンガー(笑。一応海軍隠語)の生態はよく知ってるだろう。笑
まあそんなこともあるだろうなとか…
掃いて捨てる程そんな実例も知っていただろうし。

でも旅館の女の子っちゅうのはどうなんだろう。
海軍では素人さんに手を付けるのは厳禁、遊びは玄人とのみ(逆に結婚は素人とのみ、玄人とは厳禁)。
とみちゃんは恐らく有信館の仲居若しくは女中だと思うのだけれど、これギリギリセーフ…なのかな…

とにかく笑ってしまった財部冷や汗の出来事でした。


財部は8月5日に東京を出発、横浜発のコプチック号で一路アメリカに向かっています。
この出発の前の晩に夫婦喧嘩が勃発しているのですが、丁度日記空白期間で何が原因かは分からない。
女から手紙事件から既に1ヶ月が経過しているし、その間日記に記述もないので、この件ではないだろうと思うけど。
しかしこれから何年か帰ってこないっちゅう一緒にいられる最後の晩に夫婦喧嘩って。


ちなみに財部と旅程を共にしたのは米国留学の秋山真之と英国留学の小田切延壽(機関科士官)。
同船には日本人が4人しかおらず、もうひとりは外交官補坂田重次郎でした。

そう言えば秋山が船旅で詐欺に遭う事件があったなと思ったのですが、あれは帰国時やったわ。
なんか怪しい三人組がいるという話が日記に書いてあったのでもしやと思ったけれど違っていた。

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相違

前回の。

×諸先輩に相談した後、向井弥一と広瀬武夫を訪ねるもふたりとも不在^▽^;
諸先輩に相談した後、向井弥一と広瀬武夫を訪ねるもふたりとも不在^▽^;

諸先輩に相談してない!いきなり向井と広瀬だった。
縁談持ってきた上村彦之丞から逃れるために(笑)
「とりあえず先輩に相談してから」
と言ってピンポイントで向井と広瀬に会いに行ってた!(笑)

しかしこれ…向井と広瀬がマジいい人なのだけれど…

ただ一般に知られている話と全然違う点がありましてね。
この話、恐らく『ロシヤにおける広瀬武夫』に描かれていることが実際にあったこととして受け止められていると思う。
でも実際にはかなり違っている事が今回判明しました。

向井と広瀬、確かに財部の為に動いている。
でも山本権兵衛宅には出掛けてないわ。
しかも『ロシアにー』で描かれていた時期、明治30年正月になっているけれど実際には4月。
この正月っていう話、実はずっと気になっていたのです。

何故かというとね、時期について書かれている資料、実はひとつもない。
何を根拠に島田先生、正月にしたんだろうとはずっと疑問に思っていた。
執筆の際に読める関係者の史料は全部読んだと書いてあっただけに、当然ながら財部日記もその範疇にあると思っていましたが、読んでなかったんですかね(読んでいたけど、の可能性もあるけど)。

『ロシヤにー』、実は細かい点でちょこちょこ間違いがある。
でもこれは細かくないで。
広瀬武夫の話にも非常に大きな影響が出る。
何でかというとね、広瀬は明治30年3月初旬に軍令部異動(留学準備の為)になっている。

ご存知の方も多いと思うのですが、広瀬のロシア留学の際、この財部の縁談は必ずといって良いほど出されるエピソードです。
それはこういう流れになっている。

 財部の縁談を山本本人に抗議→山本に一目置かれる→軍令部異動・留学生仮選抜の一助に

しかしながら実際には

 軍令部異動・留学生仮選抜→財部の縁談のため尽力

順番がスイッチしたら話の前提が狂ってくる。
狂うどころか山本宅に赴いてもいないという。
話自体がなかった。帝人事件か。

昔からこの人柄エピソードで選抜されたというのは…
①そんな理由で多額の予算をつけて国外に送る人間を選抜するとは到底思えない。他に実績的な理由がある筈
②広瀬に失礼だと思う
と云い続けてきましたが、個人的には合ってたなと思う。
これ以外にも山本がロシア派遣の留学生候補として広瀬に注目していた資料も、実は見つけているので。

ひとつの本に引っ張られすぎるというのは、やはり問題がある。


***


しかし当惑して相談してきた親友の縁談をぶち壊そうと動く向井弥一と広瀬武夫。
30歳という若さからくる行動力(と義憤)もあると思うけれど、打ち震えるわ。
下手したら自分も上から悪感情持たれる可能性のある話ですよ。

出世も棒に振るかもしれないし、広瀬自身、結構微妙な時期なのです。
軍令部に異動したものの、特に何もしてない時期。
軍令部長から暫くぶらぶらしてていいよとか言われて、「え?」みたいな。
軍令部に出仕しているけれど、どこの課にも所属していない。
多分留学させて大丈夫かどうかの様子を見られていた、そういう時期。

そんな中で、向井と一緒に本当に尽力してくれた。


向井広瀬両氏ノ真実ナル友情ニハ実ニ感激ノ外ナシ


財部彪はこういう風に書き記しているけれど、これは本当にそうだったと思うし、そうだと思う。
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