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Here I am(5) 日露戦争直前集合写真


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Here I am(3) 日露戦争直前集合写真

とりあえず私的メモからスタート。

山本五十六・70年目の真実~初公開・書簡に込められた思い~
  NHK BS1  8/11(21:00)

映像の20世紀 #11 JAPAN 世界が見た明治・大正・昭和
  ヒストリーチャンネル 7/21(16:00) 8/5(23:00) 8/10(19:30) 8/12(深夜3:00)

ドキュメント太平洋戦争 #4 責任なき戦場 ~ビルマ・インパール
  ヒストリーチャンネル 7/27(21:00) 8/7(深夜0:00) 8/15(18:00)

全部地上波じゃないのと、全部NHKである。笑
山本五十六の特番は以前書いたものです。
借りた本に結構山本五十六と堀悌吉が出てきていて、ちょっと笑ってしまうような話もあったので、それはまたこちらで書いてみようかと思っている。
8月ぐらいになりそうかな?タイムリーだなと自分でも思う。
総合で再放送されるだろうけど、いつになるだろう。
この放送日にこの放送時間…微妙すぎて落ち着いて見られない気がする。
絶対に見たい。
山本五十六や堀悌吉もさることながら、財部彪が絶対に出てくるはず。
写真位だろうけど。

映像の20世紀は久々やな~
もしかしたらCSでは今までも再放送されてたのかな?
このシリーズは全部面白いです。
見応えがあって、見たことのない人にはお勧め。
最終回が日本特集で、明治からの映像が出てきます。
日露戦争辺りの映像から出てくるので、見たことのない人…っていうか、このブログをご覧頂いている方には超お勧めだと思う。
インパールは個人的な関心から。

ヒストリーチャンネルは7・8・9月と戦争関係の特番を組んでいるので、興味のある人にはかなり見応えのあるラインアップになっていると思う。


***


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日本海海戦、日進の惨劇(2)

*****

この話は5回シリーズです。
追記改訂の上サイトに纏めて移行済み。そちらの方が読みやすい。
サイト > WORKS > 歴史話 > 近代史 > MTS-ALL よりどうぞ。
題は『海軍の本より』に変わっています。

*****


続く予定ではなかったんですが。笑

MVさんから色々とご教示いただきまして、「日本海海戦、日進の惨劇」の市川残花は『残花一輪』市川禅海、市川恵治少尉だろうということで。

実はね、先日のエントリを書く前に「市川残花」でググってたんですよ。
そうしたら出てきてたんですよ、市川禅海とか『残花一輪』とか『熱血秘史』とかね!
『熱血秘史』が引っかかってる時点で家にある『熱血秘史』確認しときゃ分かってただろうに眠気に負けて怠りました。orz


http://blog-imgs-63.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/2014_06020164.jpg


で、さらっとですが『残花一輪』読んでみた。


市川恵治、長野出身の海軍兵学校第31期。
同期に及川古志郎、加藤義隆(加藤友三郎の養嗣子)、長谷川清らがいます。

海兵を卒業したのが明治36(1903)年12月で、気の毒にこのクラスも卒業式後の遠洋航海が吹っ飛んだ。
翌37年2月11日が開戦なのでそんな余裕はさらっさら無かった…
遠洋航海の準備の最中に佐世保に停泊している連合艦隊に各自配属の辞令が下り、市川は初瀬に配属された。
はい。
初瀬ですね。沈みましたね…
そうなんですがその前にこの方和泉に移り、次いで日進に移っています。


初瀬にいた頃、第1次旅順口攻撃の際(M37年2月9日)、発砲した反動で後ろに下がった砲身が左股関節部を強打。
一時的に立てなくなるほどの衝撃だったのですが、何も知らない親友にしっかりやろうぜと励まされ、何とか立ち上がった。

ただその後もその痛みを我慢して人にも語らず治療も受けず、和泉に移ってから更に痛みが酷くなって最終的に立てなくなってしまい退艦、佐世保で入院。
その後日進に配属になっています。
これが『残花一輪』によると9月1日の事。
で、翌年5月末の日本海海戦となるわけです。


A)

微塵になって四散した砲身の小片は司令塔前方の隙間からもバラバラッと飛び込んで、司令官の左眼球を潰し、前頭部を傷つけた。
航海長また頭部を、中央の戦闘舵輪受け持ちの按針手は顔面健(したた)かやられて仆れた。
金城湯池の司令塔の中すら人員は全滅になったくらいである。
況や塔上の前艦橋に身を曝していた者はたまらぬ。

参謀松井中佐と兵二人は爆風に煽られて中部上甲板へと打ち落されて即死。
砲術長従属として首に苗頭尺修正版を釣り、前艦橋の左端に佇立していた高野候補生は、
右脚福良脛の肉を抉り取られ、左手の食指と中指を奪われて仆れた。



上は『追悼 山本五十六』をそのまま引用したわけですが、MVさんが日進の幹部連は一度に纏めて大怪我してたか?と記憶と史料を探ってくださり、史料ナンバーからコマ数までをお知らせいただいたので私もひっさしぶりに『極秘 明治三十七・八年海戦史』を見てみた。


1)2:40
敵ノ十二伊砲弾一発、前砲塔右方ニ命中シテ之ヲ破壊シ
其ノ断片環境及ヒ各層甲板ニ飛散シ、艦橋ニ在リタル参謀海軍中佐松井健吉ヲ殪シ


2)4:05 
敵弾前砲塔ニ命中シ爆裂シテ三須中将、田中少佐以下数名ノ負傷者ヲ生ス

3)7:00
敵弾前砲塔左砲身ニ命中シ附近甲板及ヒ前艦橋等ヲ破損シ太田中主計、高野候補生ヲ始メトシ多数ノ負傷者ヲ生ス


おい市川
(笑)
みんな別時に負傷、死傷しとるがな。

MVさんは当時市川はペーペー(下には少尉候補生しかない!)で全体の事も分からないし、後年に書かれたものであるので(A引用は昭和18年)記憶違いもあるのでは?と仰ってましたが、私もそう思います…
ただ明治43年発行の『残花一輪』でも三須司令官、松井参謀、田中航海長が同時に死傷しているので、多分かなり早い段階か、初っ端からの記憶違いではという気も。
戦闘で多くの死傷者が「散発的に」出たのを、どこかで「一度に」と記憶を変換してしまってるんじゃないかな~という感じが…^^;
てゆーか松井参謀って松井健吉か。15期じゃん。


日本海海戦後は樺太占領に参加しています。
樺太占領については、随分昔に長岡外史の件で触れたことがあります。

長岡外史は日露戦争当時参謀本部次長でしたが、まあ要するに居残り組で、割と時間があったみたい。
敵の伝書鳩を鷹を使って攻撃させようだとか、気球を飛ばして偵察しようとか、暇か。暇なのか大本営陸軍部。
その中に「樺太を占領しよう」という話が出てきます。
別にこれは思い付きではなくて、元々は満州に出征した尾野実信のアイデアだったようです。

戦争中から長岡は東京にいる要路に相談して勝手に準備を進めていた。
桂太郎首相や小村寿太郎外相は良い感触であったようですが、陸海軍関係者に持ちかけては多くの人がスルー。
は?樺太とか何言ってんの?
いやー…
だって現場はそれどころじゃないって^^;
目の前の戦場で手一杯、そもそも割ける兵力もないっちゅうに。
しかしながら講和条約締結の頃に実施されていまして、これは講和を好条件で締結させるのに良いだろうという事で。

そんな感じの(…)作戦に日進乗り組みで参加していた市川、激務でその頃からまた脚の具合がおかしくなりつつあったのだけれど、ここでも我慢してしまう。
で、樺太攻略から凱旋した後、職務の最中に不幸な事故が連続で2度重なり、その両度ともで左股関節部を強打。
遂に立てなくなり、大手術を受けることになった。


つ、続いちゃう…


(MVさん、丁寧なご指摘、ありがとうございました!)

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日本海海戦、日進の惨劇

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題は『海軍の本より』に変わっています。

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間が空きましたが『追悼 山本五十六』の続き。

この本を読んでいてちょっとびっくりしたことがありまして。
山本五十六と言えば、日露戦争の最中の海軍兵学校卒業生でして、少尉候補生として従軍しています。
以前に山本の親友堀悌吉が戦艦三笠に配属になっていたという話を書いたことがありますが、山本は日進に配属になっている。
もっとも年表を見ると明治37年11月14日に海兵卒、練習艦韓崎丸乗組みになった後、翌38年1月3日に日進乗組みになっている。
気の毒に、戦争中だったから遠洋航海が無くなってしまった…

御存じの通り、同年5月27日の日本海海戦で山本(当時は高野姓)は大怪我をしています。
結果的に左の人差し指と中指の2本を失い、下肢を損傷した。
同書に掲載されている山本を診た軍医の回想によると、指は骨が粉砕されてぶら下がっている状態、右下腿も酷くて小児の頭大の肉が失われていたとあります。

左手は指2本の切断で済んだのですが、戦前から軍医が腕切断を伝えた(※戦後の本でもそういうことが書かれている本がある)と言われていたようで、そんなことを伝えて患者に心配を与えたことはないとありました。
ヒーローにしたいあまり話を盛ったのか。

指が3本無くなれば廃兵(というのか)ですので、ぎりぎりだったんですね。
ちなみにこの時の怪我で、山本は軍人傷痍記章第1号を賜っています。(昭和13年)
また天皇陛下から義指を送られてますな。すごく大事にしてたらしいよ。

この怪我の原因は、阿川弘之『山本五十六』他によると日進の主砲の膅発によるものだとあるのですが、他を見ると主砲に敵弾が命中したのではともある。
ぶっちゃけ大して知らない素人には、どちらが主砲が爆発した原因かなんて分からんわけです。


//blog-imgs-63-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/0704280052.jpg


とにかくロシア海軍と交戦中に日進の前部8インチ主砲が爆発し、それで山本は大怪我を負った。


私が知らないだけだと思うんだけど、この時の爆発って山本五十六が指等を云々っていうのでしか聞いたことがない。
それが一番有名な話だからだと思うんだけど、『追悼 山本五十六』に当時日進に乗り組んでいた人の回顧があった。

著者は海軍少尉(誤記に非ず)市川残花とあり、米内光政と海兵で同じ分隊になったことがあるという辺りから幾らか調べてみたのだけれど誰のことか分からない。
27期に市川節太郎という人がいるのだけどこの人なのか…
市川氏の話によると、


「日進」はまたしても敵主力の集弾を受け、前艦橋方面殊に飛弾繁く、ここにある首脳部は全く危急に陥った。
ここにおいてか三須司令官と田中航海長は一時、司令塔内に身を避けた。
そして司令官が周囲の細い隙間から前方を窺(のぞ)いた瞬間に、


//blog-imgs-63-origin.fc2.com/m/u/r/murakumo1868/0704280045.jpg


眼下八伊(インチ)の砲身は二門同時に爆破した。

微塵になって四散した砲身の小片は司令塔前方の隙間からもバラバラッと飛び込んで、司令官の左眼球を潰し、前頭部を傷つけた。
航海長また頭部を、中央の戦闘舵輪受け持ちの按針手は顔面健(したた)かやられて仆れた。
金城湯池の司令塔の中すら人員は全滅になったくらいである。
況や塔上の前艦橋に身を曝していた者はたまらぬ。

参謀松井中佐と兵二人は爆風に煽られて中部上甲板へと打ち落されて即死。
砲術長従属として首に苗頭尺修正版を釣り、前艦橋の左端に佇立していた高野候補生は、
右脚福良脛の肉を抉り取られ、左手の食指と中指を奪われて仆れた。



みっすー、マジでか。
そら爆発に巻き込まれた人は山本五十六だけじゃないのは当たり前だけどさ。
短い文章ながら色々と想像してしまう。
それに三笠だって飛弾はすごかったと思うけど、こういう文章を読んでしまうと、東郷平八郎はよく無事だったと思う。

同じ人の文章で思わず笑ってしまったのが以下。


時も時、「三笠」の檣桁高くZ旗が揚がった直後のこと、一人の三等下士がメガホーンを口に当てて、
中部上甲板を後部へ向かって走りつつ叫ぶのを聞けば、

 ただ今「三笠」からの信号命令!
 皇国の興廃は一千二百メートル各員一層奮励努力せよ



ん?

な、なんか抜けとるし混じっとるで…^^;

著者は、
これよりいよいよ1200mという前代未聞の至近距離まで肉薄し、皇国の興廃を賭して戦うのだ
…と思い、それを部下にまで伝えてしまったそうな。

ドラマ『坂の上の雲』の日本海海戦の場面で伝令がその内容を伝えていく様子に、これは大変な大役だなあと思ったんだけど、実際には言い間違いとか聞き間違いとかも結構あったんじゃないかな~と改めて思いましたよ…


※追記 
日本海海戦、日清の惨劇(2)に続く
・市川残花は27期市川節太郎かと書いたけれど、31期市川恵治の誤り

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