Para Bellum

明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め
特に海軍と広瀬武夫、偶に江戸時代中後期/幕末

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読書徒然

ダイバーシティの続きはサイトの方に載せようと思ったのですが、余りにブログに穴が開いてしまいそうなのでこちらで書こうと思い、書きかけてやっぱりサイトの方にしようと思い直した優柔不断。
築地なの豊洲なのどっちなの(なんでや)

さらっと書いて終わらせようと思っていたのですが、あら、と思うことが出てきたのですよ。
いつものパターンですねそうですね。
今ちょっと県内の遠方から本を取り寄せているので、また手が止まってしまう…^^;

ということで、最近読んでいた本の話で誤魔化す。笑
徳川さん宅(ち)の常識』という本が結構面白かったです。
著者は尾張徳川家の第20代当主の方のエッセー集。

中でもうおっと思ったのは「家業」という章で、著者の幼馴染の話が書かれている。
著者は昭和8年の生まれで、戦前の華族ですので通う学校は当然ながら学習院である。
当時の学習院には学校には元大名であったり元お公家さんであったり、あれやこれやと教科書に名前が載るような苗字の方ばっかりがいる訳ですよ。


旧華族の生徒が多かったので、歴史の授業は難しかったようです。
なにしろ島津さん、毛利さんの隣に、徳川さんや松平さんが座ってますから。
母の話では、鎖国をした徳川の政治が悪かった、という話が授業であったときに、母の妹が教室の隅でシクシクと泣きだしたそうです。
日本史の先生も大変だったと思います。徳川宗家当主の話) 


こういう状態ですよ。笑
宗家当主の方は昭和15(1940)年生まれですが、昭和8(1933)年生まれであっても状況はそんなに変わらなかったと思う。
その中に幼馴染Aがいた。

このAさんのご家庭が特別な家業であると聞かされたのが著者が幼稚園の時で、特別と言っても従兄弟なんかの親戚と大した違いはないと思っていたそうです。
いやいやいや…
徳川さんのいとこや親戚ってどんなんよという感じですが、大東亜戦争が始まった頃にはこのAさん宅の事情とその跡継ぎであるAさんが別格であることが段々と分かってきた。

敗戦で華族は元華族になったけれど、そのAさんの家業だけは形を変えて戦後も存続。
それに対して著者は良かったと思った反面、御苦労なことだなと同情を覚え、自分たちは自由になったのにすまないな、というちょっとした負い目を感じた、とあります。
うーん、何と言いますか。
「住む世界が違う」と言いますが、本当にその世界の話でした…

このAさんがどなたかが気になる方は本で確認してくだされ(丸投げー)
大体の想像はつくかとは思いますが。
読んでいて私も段々「あれ?もしかして」でした…^^;
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撒饌

広瀬神社から撒饌を送っていただきました。
毎年ありがとうございます。来年は行けると思うんです…(涙

今年は軍神せんべいを頂いた!と思いきや…
あらーん…


せんべい 


軍神せんべいじゃなくなっとるよ。
武夫せんべいになっとる。


せんべい


中身は変わってなかった。笑
せんべいの方にはばっちり軍神の文字が入っています。
型が戦前のものだそうで、意匠を変えるのは流石に難しかろう。
それはとにかく軍神せんべい、とっても久しぶりなのでおいしくいただきたいと思います^^
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Sweet Home

本の返却の関係でダイバーシティの続きをそろそろ書かねば…と思った矢先に予約していた本がやって来るという罠。
海兵17期、秋山真之と同期同郷の山路一善の娘さんの本を見つけましてね(有名な方のようでした)。

読んでいたのですが、何という幸せ家族…
山路のイメージとはかけ離れとるー!
とりあえず山路が家でパパと呼ばれていたことに驚いたわ。


確かに山本五十六の家でも、妻礼子さんが子供たちに向かってお父さん(五十六)のことを「パパちゃん」と言ってたよ。
原敬の家でも、養嗣子貢さんが養子になる前、原家で預けられていた時に原敬の内縁の妻を「ママちゃん」と呼んでいた。
え、じゃあ、じゃあ、原敬の事も「パパちゃん」…?
原敬を…、パパ…?


原敬 


と思いきや、流石にそうは呼べなかったらしく(笑)
おじさんと呼んでいた。

原貢は原敬の姪の子供ですが、家庭の事情で原家に預けられてから養子になる迄期間があり、幼心に自分だけが苗字が違うのが悲しかったそうです。
そうであったため養子になった時は嬉しくて嬉しくて、何の衒いも躊躇いもなく原の「おじさん」を「お父さん」と呼んだ。
これには原もちょっとびっくりしたらしい。笑
原も子供好きだからなー嬉しかったんじゃないかなー

料亭に行ってもハーフ(半玉/10代初め~後半の半人前の芸者)にもってもてだったそうですよ。笑
半玉がみーんな原の側にいっちゃうと、加藤友三郎も言っている。笑
話が上手だから、楽しいの。
演説は貢に義理にも上手いとは言えないと言われる程のヘッタクソなんですけどね!(加藤にも言われとります)

上の写真は昨日の新聞に載っていた原。
恐らく首相就任後の撮影だと思われますが、初めて見た(多分)ので切り取っておいた。


それはいいのですが、山路家裕福やわ…
芝白金に3000坪の家。
門を入ってから玄関までは並木道になっている、家というか正に御屋敷…^^;
そして向い側には財部彪の家。
あー芝白金三光町か。目の前か。
住所調べたら山路の家、芝白金三光町519番でした。
財部の家も恐らく同等規模程度かそれ以上であったのではないかと思います。

しっかしアレだね。
山路と財部は相婿になる訳ですが、奥さんが…大分違う…
財部の妻は山本権兵衛の長女、山路の妻は次女ですが、うむ…
山路の妻・すえちゃん。

彼女がね、滅茶苦茶素敵な女性なのよ!
ママ大好きの子供目線からの母親像(しかも筆者は母が44歳の時の末っ子。第8子)なので、多少贔屓目に見ている所もあるだろうけど、それを差し置いてもめっちゃ素敵な女性である。
夫と子供への愛と優しさに溢れとるね。
こういう家庭に育つ子供は幸せだと思う。
凄いわー
理想的な「the 日本の母」だわ。


屋敷には行儀見習いのお手伝いさんが沢山いたものの、出来ることはすえさんがほぼすべて自分で行っていたそうです。
料理が大層上手だったらしい。
読んでいて、大正末期~昭和初期に主婦がこんなの作れたんだと驚きました。
主婦と言っても実父は海軍の長年の実力者で2度の首相経験者とか、夫が海外経験も豊富な海軍中将っちゅうのは、大分世間一般の主婦とは様子が違いますけれども^^;

上がっていたのはグラタン、タンシチュー、コールドミート、ローストビーフ等。
子供たちのおやつもほぼ手作りだったそうで、ゼリー、フルーツポンチ、プリン、ビスケット、クッキー、パウンドケーキ、カステラ、タピオカのプリン、パイ、お団子、お汁粉…など。

タピオカのプリン!?

タピオカが一般的なってきたのってこの15年程だと思うのですが、山路家では既に食べていた。

実父山本権兵衛が郷土のお菓子・かるかんが好きでね、道具を態々取り寄せて自分で作っていたんですよ。
中々思う様に作れなかったそうで、娘に作り方を聞いていた。
これが確かすえちゃんじゃなかったかと思う。

結婚前は嗜みとして琴や三味線を習っていたそうですが、イギリスに滞在している山路が洋楽を好きと知って、琴も三味線も燃やしてしまったり。
子供がどうしてと理由を質した時の答えが、
「パパと同じ趣味を持ちたい、同じ心になりたいと思ったのよ」
ですよ。

家に帰ったらこんな奥さんが子供と待ってるんやで…
帰るのが楽しみだったんじゃないかと思いますわ。

著者のお名前、鎮子さんですが、祖父山本権兵衛の命名だそうです。
桜が満開の時期に生まれたから桜子でどうだろうとお伺いを立てたら、
「桜はパッと咲いてパッと散るからやめよう」
鎮海要港部で生まれたから「鎮」の一字を取っての命名だった。

山本権兵衛の家も近いのですよ。芝高輪でエラい近いのよ。
山本は時には総領孫の満喜子を連れて朝は散歩をしていたのですが、その散歩コースにこの娘ちゃんたちの家がある訳ですよ。
タイガーが毎朝やって来る。笑
娘はいいけど婿の立場だと辛かろう。笑
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ノスタルジア

肌寒いわー…
皆さんのお住まいの所でも同じなのでしょうか。
ジンジャーエール用にジンジャーシロップを作ったのですが、お湯で割って飲む羽目に。笑
新生姜が出ている間にもう一回作ろうと思いつつ、青梅を買う。(あら…
今年はブランデー梅酒を作るでえ。
日曜日に仕込んだのですが、飲めるようになるまでにはまだ時間がかかるなあ。
待つ楽しみもあるのだけれど、出来るだけ早く飲み始めたい。笑

それはさておき、聞いてくれ!

中野直枝の懐旧談を手に入れた!
やったー!


小栗孝三郎、百武三郎、佐藤鉄太郎、井出謙治、中野直枝


これと同じものかな?どうだろう。
こちらは伝記らしいので違うのかな?
流石にこの時よりは自分の中野情報は増えていると思いたいけれど、残念ながら大して変わっていないのである。あーあー…

中野直枝と言ってもすぐにピンと来る方はそんなにいないかと思いますが、海軍兵学校15期です。
海兵15期です(大切なことなので2回言いました)。
広瀬武夫と同期よ!
最終は中将。
中野は日露戦争時の大本営参謀だったということで、今迄何度か名前も出している。

ついでに書けば上掲写真の小栗孝三郎も同期で、こちらは最終が大将です。


日露開戦当時の軍令部(大本営海軍部)は副官を入れて14名なのですが、その内の5人が15期になります。
軍令部長伊東祐亨、次長伊集院五郎(5)、海軍参謀山下源太郎(10)、江頭安太郎(12)、森義太郎(10)、井内金太郎(13)、財部彪(15)、小笠原長生(14)、中野直枝(15)、森越太郎(15)、高木七太郎(15)、田中耕太郎(16)、谷口尚真(19)。
副官江頭安太郎(兼任)、小黒秀夫(15)。

作戦の方で中心になっていたのは山下源太郎と財部彪。
しかし期を見ていると中枢になっているのが、見事に兵学校教育が整い始めた辺りですな…

そしてみんな若いよね。
15期は明治元年前後の生まれが多く、14~17期は大体明治元年ごろを生年と思えば、大体36~8歳辺りです。
明治と共に成長してきた世代が日露戦争の中核になっていた事が分かります。
山下源太郎は41歳、連合艦隊司令長官であった東郷平八郎でさえ56・7歳ですからねえ。

東郷はもっと老人のイメージがありますが^^;
戦場でベストな判断を下すのに、体力のない老人では無理だと思う。
そう思うと停限年齢をどこに設定するかは大事だわな…

ちなみに山下は広瀬武夫の兄勝比古と同期になります。
仲が良かったそうで。一緒に写っている写真もありますね。うふふ。

あと江頭は私が15期の次に好きな12期!(数珠を繋ぐ#11
作家江藤淳の祖父になります(皇太子妃雅子さまの曽祖父でもあります)。
更についでに書くと江藤の叔父の妻が山屋他人(12期)の娘である。

高木七太郎は以前「閻魔」で紹介しました。
後輩共からけちょんけちょんにけなされてて笑った。(こら

田中耕太郎は広瀬のロシア駐在時の同僚です。
一緒に写っている写真があるん。

広瀬武夫、加藤寛治、野元綱明、田中耕太郎


谷口尚真はこのブログに移ってから一発目の連載で触れました(石部金吉金兜)。


長すぎの前置きですが(笑)
あれこれの人が出てきた時は出来るだけ紹介したいのでご容赦くだされ。

で、この中野が広瀬との話を少しですが残してくれていた。
日清戦争の頃、中野と広瀬は横須賀の水雷艇隊勤務だったそうです。
同僚だった。
中野が鈴木貫太郎の後を受けて6号艇長、広瀬が18号艇長だったそうで。

ある時、金沢沖で魚雷発射をした後に揃って横浜に入港した。
そうしたら広瀬が
「今日は俺が奢るからついて来い」
とか言ってさ!

ついて行った先は大きな料亭で、しかもふたりの芸者付き。
どうしたの広瀬。(笑)

中野よりも早く勲六等の賜金を頂いたから奢ってやるということだった模様。
広瀬は普段こういう所に来る男ではないのに、と中野も嬉しかったようです。
私も嬉しい。笑(なんでや

これ、昭和31年の回顧で、中野は当時88歳。
約60年前の事をよく覚えてるなと思って確かめたんですね(史料批判

広瀬は明治28年10月下旬に水雷艇第18号の艇長になっています。
そして同年11月18日に勲六等単光旭日章と金200円(と従軍記章)を下賜されている。
勲六等の賜金とはこのことで、この頃(より正確には明治30年頃)の相場だと大体300万円位かな~…

この話、恐らく明治28年11月下旬の事でしょう。
結構ぴしっと覚えとるな、中野。

中野と広瀬の水雷艇は軍事普及のためによく隅田川を遡上していたそうです。
そんな事までしとったんや…
広瀬の水雷艇、よく品川に出ているのですよ。
品川にそんなに何の用事がと思っていたのですが、もしかしてそういうことだったの?
しかも18号艇は一般汽船とごっつんこして、ドック入りもしている。笑。

この18号艇長の時代の部下に藤井宗恂という人物がおり、この頃の話をいくつか残してくれています。
当時から部下は可愛がっていたようですね。
そして出されたご飯(水兵が作ったの)がおいしかったら褒めちぎってくれるんだぜ…!
ちなみに藤井の長男は広瀬から名前を貰って武夫くんです。笑

部下の話はあるのだけど、この頃の同僚や上司の話は思いの外ないのです。
中野の話、本当にほんのちょっとですが見付けられて嬉しかった。
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サイト更新 上村彦之丞と山本権兵衛(完)

■近代 【 火焔燃ゆ 6-7/完 】

6話と7話で、今回でこの連載は終了。

「バトン」の改訂になりますが、かなり書き加えております。
昨年書いた時は西郷隆盛→上村彦之丞→東郷吉太郎止まりでしたが、実はもうひとりおりましてね。
ほんのさわりのみの紹介ですが、そちらはサイトでご覧いただければ。
何年か前にテレビでも紹介されていた話なので、ご存知の方も多いかと思います。


上村彦之丞と山本権兵衛がテーマということで、今回は山本関連の方で書簡などは残っていないのかといくらか探したのですが、ちょっと見つからず…
上村の方が思いの外資料がないのですよ。近しい人の回顧ばかりでなあ。

あと日露戦争時の上村艦隊への罵倒ってどこから出ていたんだろうと思い、調べてみたのだけれど。
罵倒されていたのは確かなのですが、一般庶民の他ではどの筋が罵倒していたのかというのがよく分からない。

サイトでも書いたのですが、議会で
「濃霧は逆さに読めば無能だ」
と言われたとよく言われますが、よくよく調べると上村艦隊がウラジオ艦隊を探して走り回っている時、議会は開催されていないのですよ
何処から出てきたんやその話(笑)
誰やー!上村艦隊を無能呼ばわりしたんー!

まあそんな話も絡めつつ。
今回は自分が忘れないように参考文献リストもつけておきました。
あそこに入れていないタイトルも含めると30を超える(のですが、出来上がったのがこれか…と思わんでもない)。

それはとにかく、私は大好きな上村さまとごんべさんの話が書けて幸せでした。笑
大変しんどかったけど…

お時間がありましたらご覧いただければ幸いです。
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